◇「共通基盤教育」の意義 | ||
副総長(総務・企画担当) 馬渡 尚憲 | ||
最初に少し言葉使いのことから述べさせて頂きたいと思います。といいますのは、「全学教育」というのは、教育の体制面からの言い方ですが、教育内容や教育領域からいえば、この全学教育は何を行うのか、少しはっきりさせた方がよいと思うからです。 「全学教育」は「教養教育」を行うという言い方があります。日常語としてはこれでもいいのかもしれませんが、少し厳密に考えようとすると、私にはいくつか問題が残るように思われます。1つには、「教養教育」という言い方では、かつての「教養部」で実際に行われてきた科目を指し示すことになりがちです。その際に、専門の基礎を扱う「基礎専門」が大幅に入ってきます。また言葉の意味自身からは、外国語や情報、保健体育等の科目は含めにくいことになります。困った末に、「リベラル・アーツ」という言い方も使われますが、中世ヨーロッパの「リベラル・アーツ」とは違うし、現在のアメリカのは逆に日本の専門教育を含んでいて、「教養教育」という言い方よリー層曖昧なところが残るように思われます。 私は、全学教育は、大学教育における「共通基盤教育」を行うという考えがいいと思います。各学部の専門教育にとって(ということは、各研究科の大学院教育にとってもですが)、共通に基盤となる教育を行うという意味です。今年4月の評議会で承認された「全学教育改革検討委員会報告」(「報告」と略)で採用されているのもこの考えです。人間形成の上でまた専門教育を受ける上で、どの学部の学生にせよ共通に必要なことを学ぶということです。 なぜこういう教育が必要なのでしょうか。最初から早期専門教育に力を入れ、大学教育の効率を挙げた方がよいという見方はいまでも一部にはあると思います。この見方ではいけないのでしょうか。本当はもっと証拠を挙げていろいろな角度から議論すべきでしょうが、私には、結局、広い裾野なしに山はそびえないということかと思われます。大学教育で、創造力・応用力や自己陶冶力、そしてまた倫理的にしっかりした行動力、国際的感覚などを養うのに、「共通基盤教育」が是非必要だということです。 「共通基盤教育」は、「報告」では、@現代的な教養科目、A共通基礎科目、B基礎ゼミ、情報、外国語、保健体育といった共通科目からなっています。早期に大学教育になじみ、実践英語、情報収集・処理、健康・保健など現代社会で活躍するためのいわば基礎体力や人間形成に必要な現代的教養を身につけるとともに、共通に基礎となっているような科目の知識を得て専門教育の準備を行ってもらおうとしています。これまでの全学教育では、学生の人たち自身が一種のギャップを感じてきました。数年前の全学教育についての授業評価での学生の一番の希望はもっと基礎的、一般的なことを教えてほしいということでした。しかも、これからがもっと大変です。少子化や高校までの「ゆとり教育」の影響が大学を直撃してきていますので、「共通基盤教育」をしっかり行わないと、専門教育や大学院教育が成り立たなくなると思います。大学教育にとって、「共通基盤教育」が一層重要になってくると思います。 といいましても、私は、入学最初から専門教育を行うのは無理だとか、よくないと言っているのではありません。学部の専門教育についても学部の責任ではっきり入門講義とか、創造工学とか解剖基礎とかというように専門の導入科目をたてて、入学当初から「共通基盤教育」と平行しそれとの有機的関連で専門教育を行っていく必要があると思います。そうでないと、「共通基盤教育」が専門教育にとってもっている重要性やつながりが見えなくて、「共通基盤教育」にとってさえよくありません。 もう一つ私が気になりますのは、研究と教育の関係です。東北大学の研究は、アジア・ウイークでは昨年と今年いずれもアジア1位です。しかしそれはどうしてなのでしょうか。その理由のひとつとして、研究の第一線を担っている先生方が過去にいい教育を受けておられるということを忘れてはならないと思います。西沢潤一先生も本学の輝かしい先生をよく引き合いに出されていましたが、そのように本学で研究の第一線を担っている先生方は自分が受けた教育、育ててくれた先生たちを誇りに思いその後をついで、現在の東北大学の研究を担っておられます。 つまり、今の研究の水準は、過去の教育によって維持されているということです。今の研究は過去の教育に、従って将来の研究は今の教育に依存します。ですから、東北大学が「研究第一主義」による世界一流の「研究大学」であり続けるには、持続的に優れた教育を行っていくことが必要です。「研究大学」にとって「教育」は大切な先行投資なのです。もちろん、「教育」では研究者だけを育てるわけではありません。しかし一般的にも現在の教育は将来の社会進歩への先行投資だといえます。 単一機関でもっともノーベル賞受賞者が多いと言われるキャベンディッシュ研究所のハーウイ先生(元所長)に学際科学研究センターの「21世紀の大学」プロジェクトで話を聞きましたが、同研究所はケンブリッジ大学の理学部の研究組織であり、学部教育ではノーベル賞受賞者を含む教授が積極的に熱心に低学年教育を行うというのが、研究組織の柔軟性とともに、成功の秘訣ではないかということでした。いま研究のためといって教育を犠牲にしていたら、将来は研究水準も「研究第一主義」も維持できないといういい教えだと思いました。 全学体制で「共通基盤教育」を行うことには、「教養学部」・「教養部」方式に比べて、体制面では不利です。責任体制を樹立するのに、工夫が要ります。しかし、いい点もあると思います。「教養学部」や「教養部」という部局の壁に阻まれないということです。全学の学部。大学院の観点から「共通基盤教育」として必要なことを柔軟に行っていけます。とくに、最近のように、情報社会化や高齢社会化、少子化(大学全入時代)というような環境変化、「ゆとり教育」による高等学校までの教育課程の大幅変更(「2003年問題」)というような激しい変化のなかでは、「共通基盤教育」の科目や教育方法を、柔軟に(と言っても数年単位の経験をふまえる必要はあると思います)組み替えることが求められます。 東北大学は、平成5年度から全学体制の「共通基盤教育」の道を選んだわけですから、この体制で、「共通基盤教育」の意義を最大限に実現していく必要があります。それにはまず、今年4月評議会承認の「全学教育改革検討委員会報告」を平成13年度と平成14年度で、完全実施していくことかと思います。 |
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