◇新世紀と科学、そして科学技術 | ||
東北大学総長 阿部 博之 | ||
いよいよ21世紀を迎えました。20世紀とはどんな世紀であったか、という問いに関して、さまざまな解説がなされています。20世紀の歴史的評価は時期尚早かもしれませんが、以下にあえてその一端を述べてみたいと思います。 20世紀は科学(サイエンス)が爆発的進展を遂げた世紀でありました。19世紀末、人類が期待していた多くの夢を実現しました。他方科学は、大量殺戮、大量消費、大量廃棄をもたらしました。20世紀の初め、16億人であった世界の人口は、世紀末には60億人を超えました。このことも科学に密接に関連しています。 20世紀後半は、情報(科)学とバイオサイエンスの革命的進展があり、21世紀への先導役を受け持ちました。 科学と技術と産業は多くの分野で直結し、特に冷戦構造の崩壊後は、米国をはじめ多くの国々が、科学技術と経済や生活との関係を特に重視するようになりました。 科学ないし科学技術は、確かに人類の夢を実現し、生活に利便を与えました。しかし一方では負の部分が種々顕在化してきました。もちろん人類は知恵によって負を消去する努力をし、部分的にはそれを実現してきました。しかし地球環境問題のように、多くの警告と提言を発信したものの、根本的解決を21世紀に先送りした問題も少なくありません。 さて、21世紀はバイオの世紀という人がいます。 ガンはもちろんのこと脳障害などの不治の病といわれている病気の治療が画期的に進むでしょう。再生医療によって臓器の再生が一般化するとの予測もあります。医療だけでなく、すべての生命体を対象にして、遺伝子技術により、人間に利用できる可能性を大幅に拡大していくでしょう。 21世紀の生命科学ないしバイオサイエンスは、極めて学際的であり、化学、物理学、情報(科)学、またさまざまな関連工学との統合が要求されます。生体の能力を超える補助器具(義手、義足など)は、ロボットエ学との融合によって、その実現が期待されています。 20世紀末の科学技術庁の調査によれば、上記に加えて、地震の予知を含む抜本的予測、完全なリサイクル社会の実現、その他、脳とコンピュータの意思疎通の進歩などが展望されています。 上記のような夢の予測とは別に、科学技術の新しい成果は、個人の生活のあらゆる面に直接かかわるようになりました。この状況はさらに加速されるでしょう。すなわち、間に国や自治体が入る場合、企業や特定の意図を持った個人が入る場合など、いずれにしても科学技術の個人の生活への影響はさらに大きくなることは間違いないでしょう。このような動きに連動して、個々の市民に対して科学技術の成果についての質の高い情報が常に提供されなければならないし、市民個人としても科学技術の成果についてより高い関心を持つ必要に迫られることになります。一般市民の科学への関心度のOECD各国比較の中で、現在のところ残念ながら日本が極めて低いことが指摘されています。 先に地球環境問題を例示しましたが、科学技術の新しい知見のみではこれを解決することはできません。文系、理系の種々の学問を動員することがそのための必要条件です。遺伝子技術も同様であり、21世紀型の科学の特色でありましょう。 加えて、21世紀は情報開示型社会になります。さまざまな質の情報が多量に流れ出ることになります。しかし一般の市民が、通常、特別な努力無しにそれらすべてを知る環境にはありません。従ってこの中の一部を特別に強調して解説をする人が現れれば、市民に必ずしも正しくない判断を求めることになります。それだけに専門家の説明責任は比較にならないほど大きくなります。 言いかえれば、科学技術の応用の最終決定は、一般市民の判断によることになります。民主主義社会の原則であるからです。しかしこのことは、特定の領域において多量の情報を持っている科学者ないし専門家の判断が依然として大切であることを否定するものではありません。繰り返しになりますが、科学者ないし専門家は市民に対して正しい情報を伝え続けることが必要です。科学ないし科学技術が社会とその進歩を支え、社会が科学ないし科学技術を支えていく認識と仕組みを育てていかなければなりません。 科学は人類や地球の未来にさらなる恩恵を与えることは間違いありません。その際、科学の応用の負の面を極小化し、正の面に転換できるように、大きい努力を払うのも第一義的に科学者ないし専門家に課せられた役割であります。特に第一線で活躍する人達は、未来を凝視し、現在からの変化を予測し、その結果をフィードバックして研究の方向を調整していくことが求められるでしょう。 21世紀の特に前半の英知が肝心ではないでしょうか。21世紀に求められる知の創出には、高い専門性に加え、世界観、人間観と国際感覚に根差した幅広い教養が必要であります。また別の切り口で言えば、自ら問題を発掘し、自ら解明しようとする努力であります。学生時代に、大学受験技術とは異なるこのようなポテンシャルをどれだけ獲得できるか、が大切であることを、あえて強調しておきたいと思います。 |
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