◇全学教育課程の皆さんへ | ||
前農学研究科教授 江原 淑夫 | ||
皆さんは東北大学に入学され、現在大学教育についてどんな感想をお持ちでしょうか。成長を追って、高校までは人間の生活に必要な知識を豊富にし、物事を理解させることが教育の基本でありました。また、正解のある問題に取り組み、それを解くことが学習の基本でした。一方、大学には学問を継承し、発展させるという重要な使命があります。教官が情熱をもって専門を教授し、学生が積極的に学ぶという両者の関係の中で、学問を発展させる所が大学です。全学教育は一見、高校の延長のように感じられるところもあろうかとは思いますが、専門課程に進むに備えて、文化や科学一般等についての幅広い視野を養う重要な役割があります。大学は学生の皆さんが受身ではなく自ら学ぶところであり、全学教育に意欲的に取り組んで欲しいのです。 全学教育を終えますと、専門教育の課程に進み、それぞれの学問を修得し社会に出ることになります。人間は万能ではありませんから、すべての学問を修得することは出来ません。自分の選んだ専門に対する深い知識と理解、そして応用力と洞察力を養い、それを仕事に生かし、人生いかに生きるべきかを考え、生活することになります。大学在学中に将来どのような分野を担う社会人として生活するかがほぼ決まりますし、また決めなければなりません。ですから現在の皆さんは人生において重要な時期にあると思います。人生を芸術に例えれば、自分なりに一つの作品を仕上げるようなもので、どのような彫刻作品を完成させるか、大体の輪郭を形作る時期にあると思います。 皆さんは小学校以来、多くの学友と共に生活してきました。これまでの学校生活は単に勉強するためのみに用意されていたわけではありません。多くの友との交わり、語らいの中で、ある時は反発し、ある時は同感し、またある時は感激したことと思います。これらの体験を通して、相手をよく知ること、相手の考え方と自分の考え方の違い、そして自分自身をよく知ることになります。それは人間に対する理解を深めることであり、社会生活にとって必要なことです。大学生活において、学部の枠を超えて友と交わり、専門を異にする先生方とも語り合う機会を多く持ってください。 私は受験に際し、大学に入学し人間とは何か、そして人生いかに生きるべきかについて学びたいと思っておりました。そこで哲学を専攻しようかと悩みました。それは大変難しい問題であるでしょうし、その道で生活できるかどうか自信はありませんでした。また机上の哲学にならぬよう、物理学や科学、あるいは生物学といった自然科学を学ぶ中で、人生の問題を考えたいと思っておりました。結局、人間の生活に密接した生物学を学ぶということで、農学を専攻しました。一般的に云う農業に興味はありましたが、都会育ちの私は実際の農業は全く知りませんでした。農学部に入学して、1,2年生の時に学友と共に農学ゼミナールに参画し、農業・農学への理解を深めるよう努力しました。県庁の農政課に出かけ官城県および東北地方の作物生産の変換と実際について話を伺ったり、報告書を頂いたりしました。また日本や世界の作物生産はどのようになっているのか、資料を集めて調べたことなどが今でも記憶にあります。大学の授業にはないことを、自分なりに勉強し、農学に対する理解を深めることができました。学部の専門課程に進級してからは、大学院の学生が主催するオパーリンの「生命の起源」や、ダーウィンの「進化論」を読む会に参加し、先輩といろいろ議論できたことはとても有意義でした。自分なりに専門を学ぶ体制を整え、大学での授業・講義をそこに吸収するような状態にすることが必要と思います。 学部の4年生となり、植物病理学を専攻し病原菌の生態に関わる卒業論文に取り組みました。微生物の生態についてその現象を解析するため、実験装置を組み立てたりして昼夜実験に専念しました。次の日どんな結果が出てくるのがが楽しみな毎日でした。大学院に進学してからは、研究テーマが植物ウイルスに変わり、卒業論文とは全く異なる観点から、研究を進めることになりました。植物ウイルスについては米国のスタンレーが1935年にタバコモザイクウイルスをタンパクの結晶体として分離し、ノーベル賞を受賞しており、研究の歴史は古いものです。私たちの研究室では農作上発生が多く、多大な被害をもたらすキュウリモザイクウイルス(CMV)の研究を進めることになり、その感染機構の解析に取りかかりました。いかに研究を進めるべきかについて、方法論はさることながら技術的にも克服すべき問題が多く悩みました。結局いろいろな角度から実験を行い、現象を凝視し、結果を解析し、共通する法則性の発見に努め、新たな実験により、それを検証するという作業に専念しました。その結果植物ウイルスは動物ウイルスや細菌ウイルス等とは全く異なる機構で植物体に感染することが明らかになりました。このことにより植物ウイルスが主に昆虫その他の生物の媒体により感染する理由が分かりました。またこの研究は植物の特殊性を理解するのにも役立ちました。次いで世界で始めてこのCMVの細胞内での所在を電子顕微鏡でとらえることに成功しました。そんな発見をした夜は星の輝きが特に美しく感じられました。研究生活は厳しいもので、時々不眠症に陥り、徹夜を繰り返したことも多くありました。それだけに新しい発見をした時や、自分の研究結果が外国の専門書に紹介されていることを見たときの喜びは殊の外でした。 もう随分昔の話ですが、金属材料研究所長の増本量先生が父にこんな話をされていたのを横で聞いたことがあります。「昨晩、本多光太郎先生を病院に見舞ったとき、先生は突然ベットから起きあがり、これから国際会議に出かけると叫ばれた。研究論文をそろえてトランクに収め、それを携えて一緒に病院の玄関のところまで行きますと、やっと先生は正気に戻られ、ベットに戻られた。」それから間もなく本多先生は他界されました。学問をするということはこういうことかと心に強く残りました。東北大学の研究第一主義とはこのような先輩方によって築かれてきたものです。 学問は人間の為にあるものであり、人間が少しでも理想に近づけるようなされるものです。学問研究をする原動力は単に研究が面白いからというわけではなく、それが直接あるいは関接に人類の生存に役立つと信ずるところにあり、そこに研究者の「責任」があります。理想主義を欠いた研究は、やがて人類を破滅に導くでしょう。20世紀は科学が著しく進歩し、私たちの生活は便利となりました。しかし今世紀はどうでしょうか。21世紀は人類が生存し続けられるかどうかを決する時代であり、そこに皆さんは生きております。輝かしい21世紀を構築する学問研究を進めてください。皆さんに期待します。 |
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