◇総合科目授業「人間の機能に追るテクノロジー」を担当して
東北大学加齢医学研究所教授(前東北大学副総長)  仁田 新一
 昨年の5月に本学の教養教育科目授業の「人間の機械に迫るテクノロジー」の一部を担当した。これは本学工学部の教務委員会の担当で3年間連続して行われるものであり、12名の各領域からの講師陣による、全く新しい視点からの総合教育科目である。入学後に出来るだけ早く、科学の最前線に触れて大学に入学した実感を持って、今後の大学生活をいかに有用に過ごすかの動機づけにしてもらおうという企画である。私は、当時まだ学務等担当副総長の在任中であり、会議等で目のまわるようなスケジュールであったが、以前から新入生の全学教育にぜひ参加してみたいという強い願望があったため、何とか実現にこぎつけたのであった。当時の学内事情から、学務等担当の副総長が川内で講義をすることがいかに大変であったかを如実に物語るかのような、事務官の緊張が手に取る様にわかるなかで川内の講義棟へ導かれた。まさしく護衛つきの講義となった。受講生約200名ということで、タイトルは「人工心臓などの循環器系人工臓器」あった。

 最初は、心臓の働きから始まり、人工心臓の駆動原理、動物実験、米国での人工心臓移植手術などについて、スライド、ビデオを使って講義した。大学に入学したばかりだし、理系のみならず文系の学生も混在しているので、できるだけ解かり易く、ゆっくり話を進めて行った。人間の命に関るということで興味をひいたのか、身を乗り出す様に開き、或いは見入る様子が私を次第に感動にさえ導いて行った。90分の授業を終えると数人の学生に取り囲まれてしまった。すわ一大事かと思いきや、口早に私の研究に対する内容の質問があちこちから飛び出した。まさしく教師冥利につきる喜びの時間であった。その後に提出されたレポートを教務からいただいて読んで、これがまさしく私の求める大学教育なのではないだろうかと思い、この幸せを私一人のものとするのは惜しいので以下に幾つかのレポートを活字にしてみた。


レポート@
 「人間が、人間を作れるようになるかも」講義中に考えた事はこれでした。これまでも人工○○というものが、存在することは知っていたし、それが様々な箇所、用途に使われていたのは知っていた。しかし、今回のように一覧として提示され、さらに詳しく解説されるのを聴けば聴く程、すごいことをやっているのだと実感した。正直な所、はじめの細胞の仕組みや、遺伝子の組み換えは、生物の授業と大差なく感じていた。しかし、人工心臓の話くらいからは全く様子が違った。人間の「生きる」という部分に深く関っていたからだ。生体として、心臓が止まり、死という状態になったとしても、もし、人工心臓に置換できれば、生きられる。それがとても奇妙なことに思えた。脳死とか難しい事は別にして、「心臓が止まる、だから死ぬ」ということさえ通用しないのかと思った。確かに、実際には、補助的な役割で、その間に機能の回復を図るように使われているのだろうし、まだ人工心臓で生きられる期間はせいぜい数年だろうし、体内(体外も含め)に埋め込むには莫大な費用、膨大な準備の時間が必要だろう。そうだとしても私には死んだ筈、若しくは、死ぬ筈の人が機械により生き続けられるのが不思議な気がした。そして、人工臓器を拍動流でなく、定常流にしたら人間だって、モーターで動くおもちゃと変わらないと思った。最近、話題になることの多い、脳死等の倫理観の問題と同じ位難しい問題だと思った。

 また、人の「生きる」という問題以外にも興味の持てた点はいくつもあった。例えば、感覚器官に関る事実が挙げられる。欧米では、生まれて耳が聞こえなければ、すぐに人工内耳を埋め込むそうである。脳や神経の可塑性を利用した技術である。他には人工現実感の話題の時に出た様々な装置も挙げられるだろうか。私自身、「どうだった?」と聞かれ自分が感じている事を説明するのも上手くいかないのに、それを計測し、さらには反応として再現さえできてしまうという。技術の高度さは見当もつかない。確かに、片目をつぶれば、視差があることは一目瞭然であるが、運動つまり前後左右上下への動きにまで対応させながら再現できるなんて、普通に生活しているだけでは見当がつかない。しかし、将来ITの技術レベルがさらに向上した社会の中で、殆ど全ての事が擬似的ではあるにしろ可能になるであろう事だけは明らかな気がする。

 他にも、色々な技術があることを知った。けれど、最も印象深かったのは仁田先生の「昔考えたことが今技術が進んでやっと実現できる。君達もたくさん想像し、夢を持て」との言葉だ。法学部で、法律を学んでいこうとしている私が新技術を開発するのはまず0パーセントと言ってもいいだろう。しかし、周りの人から馬鹿な絵空事と思われるような考えが世界を変える事ができるというのには、納得できたし、その話を聞いた時「なんで文系にしたんだろう」と後悔した程だった。でも、きっと文系の人間だって新しい発想が必要なときがあるはずだ。これからの大学生活、たくさん色んな事を勉強して様々な事を考えたい。これでは、講義のレポートではないかもしれないが、私の決意の表明にしたい。


レポートA
 人工臓器についての講義を聞いて大変驚きました。難しいことだろうと分かっていたものの、どこがどう難しいなど考えたこともなかったし、想像もつかなかった。でも、この講義によって色々わかりました。今の時代コンピューターが発達しているため、血液を出す量やスピードを制御することはそれはど難しいことではない。それよりも血液の流れ方、つまり流動モデルとそれに関して血栓などができてしまうことだった。それを解決するのは相当大変だったそうだ。そして今、動物実験も成功して、次の段階に行くところだそうだ。また、この人工心臓の開発のために、医学部だけでなく他学部と協力していたことも知った。東北大学はそのように横のつながりも広くいい環境にあることを改めて知った。まだ、だいぶ先だが自分もそんなことができたらいいなと思いました。


レポートB
 人は長い歴史で見てみると進化してきた。地球上で道具を使う生物はヒトぐらいであり、ヒ卜は道具を使いあらゆる事を行ってきた。そしてとうとうヒトは人間の機能つまり生命にかかわる段階にまで手をのばしてきた。これをヒトの進化といえるのかということははっきり言えないが、技術面では大きな進化である。私がこの人間の機能に迫るテクノロジーのいくつかの講義の中で最も興味をもち、最も記憶に残っているのは人工心臓の講義である。

 一番最初の人工心臓の症例は残念ながら手術後112日間しか生存できなかったが、現在の技術を用いればもっと長期間生存でき、ほぼ2年間生存させることができる。心臓は1日に約10万回収縮拡張を繰り返す。この事を考えると5年以上の繰り返し運動に耐えうる高分子は現在ないため、5年以上持つ人工心臓は不可能である。しかし、細胞、組織、器官の培養の技術をつかうことができるようになれば、もっと長期間生存できる人工心臓ができることになる。私は、人間が生命の範囲にまで手をのばしてきたことに対してかなりの抵抗があったが、この講義の中で鑑賞したビデオの中にヤギの人工心臓の手術があり、それを見た時にとても感動した。人工心臓はヤギの体の外にでていたので、手術後のヤギが生きている姿を本当にこの目でみることができた。心臓に血液が流れ、動いている様子がはっきり見えたので驚いた。

 私は技術を発展させ全ての領域に人間が手をだすのはおかしいと思うが、技術の進歩を止めるのは無理である。それにこの人工心臓の様に技術が進歩すれば何万人という人の役に立つというなら必要であろう。ただ機械のような技術と生物の共存が必要である。この講義の仁田教授が述べられた様に、「生物のあらゆる性質は長年かかって進化して得られてきたものであり、地球上に存続していくという大きな目的にかなったものである。これらの特長を模して、実現していくテクノロジーが注目を浴びて一部実用化される段階になってきており、いろいろな事柄が夢物語でなくなる時代がもう近くにあるといってもよい。しかし、これらのテクノロジーも人類に優しい、生物に優しい、地球に優しいものでなければ、人類ひいては生物全体を滅亡に導く可能性がある諸刃の剣であることを十分に心してかかる必要がある」という事は最もだと思う。新しい技術を評価しながらも的確な判断を一人一人が下せることが必要であり、私達の義務であろう。


 この他にも数多くの今回の教養教育に対するレポートが寄せられていたが、私の講義に対する感想はこの三つのレポートに集約されているようだ。僅か90分の授業でこのような科学を超えた心の問題までのやりとりがあった事を思うと、素晴らしい学生を持った東北大学の教官である事の喜びと誇りをふつふつと感じている今日この頃である。この企画を大学教育に盛り込んで下さった諸氏と私を支えて下さった諸氏に感謝申し上げる次第である。

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