◇『生涯教育の一環としての教養教育の意義と重要性について』 | ||
会津大学教授(昭和42年3月理学部卒) 嶋 正利 | ||
世界初のマイクロプロセッサ4004は日本の電卓メーカーであったビジコン社と米国の半導体メモリメーカーであったインテル社との間で共同開発されました。電卓に応用したプログラム論理方式をLSI(大規模集積回路)化する過程で、1969年に基本的提案がなされ、1971年に開発に成功しました。マイクロプロセッサが成功裏に開発されたのは、応用からの強い要求で、応用、コンピュータ、ソフトウェア、LSIなどの異分野の開発技術者が、既成概念にとらわれずに、学際的に科学と技術を融合化させつつ、知恵とアイデアを出し合い、最適化し、多くの複雑な問題を粘り強く解決し、一粒の種を製品としての完成品に作り上げたからです。 マイクロプロセッサは誕生と同時に2つの顔を持つようになりました。知的能力と計算力です。シリコン小片に乗ったマイクロプロセッサは、「新時代を切り拓く技術」となり、「プログラムの時代」を築き、新たなる文化を創造するための「知への道具」を人類にもたらし、パソコンやゲーム機などのデジタルな世界を登場させ、ソフトウェア産業を大きく花開かせました。マイクロプロセッサの急速な発展により、いかに品質を高くかつ安く物を作るかといった生産という文明を重視した時代から、何を作るかといった開発者の顔が見える創造的開発という文化を重要視する時代となりました。 創造的開発とは、未だ世の中に存在していない製品を開発することですから、成功という希望と失敗という不安を抱き合わせて、人跡未踏の荒野を羅針盤も持たずに進むようなものです。また、創造的開発とは、芸術と同じく、自分の世界を創り出すことでもあります。創造的開発における基本とは、人の歩んだ道を行かないことです。開発こそ我が道と信じ、強い意志を持って、集中力を持続させ、知恵を出し、問題の本質を見極め、決断し、自分の個性の発露であるアイデアを大切に守り、決してあきらめないことです。新規概念はすぐには理解されません。開発者の頭の中は誰も知りませんから、最初の理解者はほんの少数で、無視されたり非常に低い評価しか得られません。自分が正しいと思って発案したのですから、自分の表現力がまずかったのか相手が理解しえなかったかと思い、不退転の意志で、改めて挑戦することです。創造的開発のもう一つの基本は、現状に決して執着しないことです。今まで培った技術やノウハウや経験を捨てることは決して容易なことではありません。しかし、経験という過去と現在を分析し、解析し、昇華させ、エッセンスだけを残し、あとは思い切って捨てるのが成功への一歩です。また、創造的開発においては仕事の進め方に鍵があります。製品は生ものと同じで、時間が経つと、陳腐化したり、活きが悪くなって、誰も買わなくなります。開発はスピード感を持って素早く行なうことが大切です。解決しなければならない多くの複雑な問題を抱えた応用にこそ、貴重な宝石の原石がいっばい埋まっています。「初めに応用ありき」のように「モチベーション・ドリブン」的に、次世代への夢となる原石を見つけ出し、カットし、磨き上げることが、創造的開発であり、開発技術者の叡智であり、開発の面白さなのです。 創造的開発にとって自由を獲得することは重要です。ヘーゲルの「歴史哲学講義」は「人類の歴史は自由獲得の発展過程」という主題で貫かれています。マイクロプロセッサ開発の歴史も「設計の自由の獲得」の発展過程と言えます。マイクロプロセッサ開発における技術要素としては、応用、システム、コンピュータ、プログラミング、オペレーティングシステム、論理設計、回路設計、レイアウト設計、半導体、検証、コンピュータ支援設計ツール(CAD)、開発方法論などがあります。それらの技術を統合的に身に付けていくことが設計の自由の獲得につながります。しかも、それらの技術は今もなお発展し続けています。設計の自由を獲得できないと大きな仕事はできません。 私は大学を卒業してから今まで一貫してマイクロプロセッサを開発しています。大学では理学部で有機化学を専攻しましたから、マイクロプロセッサ開発に関する技術は全て仕事を通して勉強しました。しかし、社会に出てから勉強することは大変なことです。卒業時に私が使えた技術は卒業研究を通して得た実験に関する方法論、手を抜かないという教え、いろいろの考え方と考え出す力でした。技術はモチベーションと努力で習得することができると思い、大学を卒業した時に、対象は何であれ開発をやってみようと決めました。開発が私のモチベーションとなり、どんな仕事にも挑戦的に新しい方法を考え出し実行してみました。世界初のマイクロプロセッサ開発の機会に出会った時には、小さな成功と、システム、コンピュータ、プログラミング、論理設計などの技術を習得していました。挑戦的に新しい方法を考え出すことが創造的開発への道となったのです。 教養部時代と教養科目は、私にとって、考え出すことの源でした。私が入学した頃は、学科別に分かれていませんでしたから、異なる学科を希望する学生や、ある場合は薬学部の学生と一緒に教養科目を受講しました。モノカルチャな社会から、自分とは異なる考え方を主張する人達が住むマルチカルチャな社会へ飛び込んだようなものでした。マルチカルチャに触発され、この頃から新しいことを考え出すことに興味が出てきました。私にとっては、教養科目の知識を得ることも大切でしたが、異なる分野の異なる考え方を多くの授業で聞くことが重要でした。社会に出て開発を希望する学生は、すぐに役に立つ工学や経済学だけでなく、すぐには役に立たないかも知れない理学や文学も勉強すべきです。思想と個性を持たないアイデアを知識のままの技術を使って実現させたのでは必ず失敗します。一生の間に大きな機会が3回めぐってきます。その機会を掴むか見逃すかは、柔軟性に富んだ、思想、知識、考え方、方法論の習得にかかっています。教養時代にしっかりとした基礎を作り、専門課程で主柱を打ち立て、社会に出たら基礎の上に2本ほどの柱を築くのが理想です。解決困難な問題に直面したときに助けてくれるのは、専門分野の既存の技術ではなく、異分野の技術であり考え方なのです。その道案内をしてくれるのが教養教育なのです。 大学時代に習得すべき力は、問題を見つけ、本質を見抜き、創造するための、考え出す力、挑戦する力、聞き出す力、説明する力、判断する力、実行する力です。 |
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