◇同じことを考え続けて35年
医学系研究科障害科学専攻教授 山鳥重
 定年に際してお前の学問論を書け、ということです。

 私は、少し斜に構えるのは得意なんですが、正眼に構えるのは苦手なんでちょっと困っています。人様に向かって学問論を云々できるほど、学問を究めたかと考えてみますと、そんな境地からはまるで遠いところにいます。無我夢中で暮らしてきて、気がついたら、もう終わり、というのが実感です。

 私の専門領域は神経心理学という名前で呼ばれています。医学、それも神経学(Neuronの学、Neurologyの訳語)の領域に属し、その神経学の中でも大脳損傷による認知障害を扱います。この問題が医者の意識に捉えられたのは、そんなに古いことではありません。1861年というのが神経心理学という学問領域が誕生した年です。もちろん異論もあるでしょうが。

 この年、Paul Brocaという37歳の外科医で人類学者という当時のマルチ学者がパリ人類学会の例会で一つの剖検脳を示しました。その脳には左前頭葉後下方を中心とする鶏卵大の限局病巣が認められました。そしてこの病巣を抱えていた人は、亡くなるまで20年にもわたって言葉がしゃべれない状態が続いていました。Brocaは、この病巣とこの症状を関連づけ、この人が言葉を失ったのはこの大脳病巣のせいであると考えました。彼はその後も類似症例を集め続け、左大脳半球前頭葉後下方(後にBrocaの発見をたたえてBroca領域と呼ばれるようになります)に発語の中枢があると結論するに至ります。大脳の特定の領域が人間の特定の認知能力を担当している、という大脳機能局在論の誕生です。

 この時代よりかなり前、すでに18世紀後半には、Antoine Lavoisierが物質が元素からできていること、物質と物質の反応は元素と元素のやりとりとして記述できることなど近代化学の基礎を打ち立てていました。人々はモノは分解できる、という近代科学の方法論に身を固めてゆきます。

 精神も要素から成り立っており、その要素は脳の特定の領域に求められるのではないか、という思考の道筋はすでに準備されていたわけです。

 この道を多くの人が歩き始めました。この道を歩く人は精神を分解して、要素的認知機能を割り出し、その認知機能の座を脳の特定の領域に求めようとします。たとえば、単語の文字心像のありかは左半球頭頂葉に求められ、書字心像のありかは左半球前頭葉中前頭回後端に求められました。あるいは理性は前頭葉の外側にあるとされ、意志もまた前頭葉の働きに求められています。自己意識は右前頭前野にあるという研究も発表されています。化学と似たような考えです。誰も明からさまには言いませんが、なんとなく精神元素を追求しているような、そんな流れです。しかし、この考えはあくまで仮説なんですね。

 精神が物質と同じように要素的なものから成り立っているのかどうかは実はよく分からないのです。物質的な考えになぞらえて具体的に考えないと、精神の構造なんてなかなかイメージできないので、要素的なものから組み立てられているのだろう、と想像しているだけなんですね。本当のところは分からない。

 私は、心と脳の関係の不思議さというか、わけのわからなさになんとなく引き込まれてしまって、わけのわからないまま、今に至ってしまいました。数えると、引き込まれて35年くらいは経ちますが、いまだに視界は開けません。

 デカルトが言っていることですが、精神というのは物理現象と違って広がりを持ちません。モノのように空間を占拠する現象ではないのです。当然、目や手でしっかりと見たり、掴まえたりできないものです。

 その意味では、脳(脳はモノです)の働きをいくら追求しても、そこから精神は出てこない可能性があります。ニューロンの形態をいくら分析しても、形態のままです。ニューロンが働くと電気が出ますが、この電気はどうかというと、これもいくら微分しても積分しても電気のままです。精神と脳の問題というのはどこまで行っても平行なんです。二つの現象に対応はありますが、因果関係ははっきりしない。

 対応関係というのは困るんですね。必然性に乏しい。いつでもうまく対応してくれれば二つの関係はある程度は分かってくるものですが、なかなかうまく対応してくれない。これとこれは対応しているぞ、と1つ発見したように思ってドキドキしていると、たちまちそんな対応を示さない症例が出現して、世の中そんなに甘くないよ、突き放されてしまいます。

 この心と脳のもつれを少しでもほぐしたい、というのがまあ私の学問です。

 これは難問ですが、ひとつだけ分かったことがあります。それは分からぬ現象の前では素直でならなければならない、ということです。目の前に精神という現象が立ちはだかっているのですが、これを素直に見たいとつくづく思います。どういうことか、と言いますと、われわれは現象をみるのに眼鏡をかけざるを得ない。つまり、方法をもたざるを得ない。ところが方法を持つと、その方法でしか世の中が見えなくなります。目でものを見る、というのは1つの方法ですが、目でしか世界を経験したことのない人間には目が見えない人の精神世界は分からない。耳でしか世界を経験したことのない人には目でみる世界がどんなものかは分からない。私も同じで、自分の持っている方法でしか世界を見ないから、それ以外の方法で世界を見たらどうなるか、ということについてはまったく無知なんです。あるひねりをつけてしか、見ることができない。ここからフリーになりたいと思っています。

 ま、やっかいな問題にひっかかってしまいました。とはいうものの、何かあることについてこれ本当のところはどうなってるの?と、とことん本当を追求してゆくことって、面白いですよね。わかってしまったことって面白くないですが、わかってないことって面白い。それがとりもなおさず、学問というものなんじゃないでしょうか。

 話は跳びますが、
 私の教室にはモットーがありまして、

 歩々これ道場

 というのです。禅語の1つです。私が勝手に決めて、教室員に押し付けてきました。私がここにいる限りはこれが教室のモットーだ、と年に一回教室員の前で、演説してきました。ここは学問道場だぞ、というわけです。

 もう1つ好きな言葉に

  憤一字、是進学機関。舜何人也、
  予何人也、方是憤。

 というのがあります。西郷南州遺訓(岩波文庫)の中の手抄言志録で見つけた言葉です。西郷どんは佐藤一斎の言志四録を耽読して、その中から好きな言葉を抜き書きして、座右に置き、繰り返し読みました。それが手抄言志録。

 教室のモットーはこっちにしようかな、とも思ったのですが、学問を目指すもののモットーが、武士/政治家の愛した言葉ではちょっとおかしいかも知れません。それで歩々是道場にしました。

 ま、古臭い言葉を並べましたが、私にとって学問のイメージは古臭いものです。道なんです。万古不易の本当を探し続けたい、そういう学問をやりたい、ということです。

前ページ

次ページ