◇教養教育に思う―教える側の教養―
大学教育研究センター副センター長(理学研究科教授)  工藤 博司
 大学の一般教養教育の重要性は広く認識されています。一般教育あるいは教養教育とも言われますが、本学ではこれを「全学教育」と呼び、総合大学の特色を生かして全部局の協力を得て進めています。全学教育は、昭和24年の学制改革以来本学の一般教養教育を担ってきた教養部が平成5年3月に廃止されたのを受けて、同年4月に始まりました。その後の見直しや改革を経て、平成14年から現在の体制で実施されでいます。その目的は、全学教育改革検討委員会報告(平成12年4月18日評議会承認)に次のように記されています。

 「本学の全学教育は、@現代人として生活し、また専門を学ぶ上で共通の土台となる素養と技能、A人間形成の根幹となるような現代社会にふさわしい基本的教養や技能、B専門教育および大学院教育を受けることができ、またこれらを通じて将来専門知識を応用できるような科学的知識を養い、これにより、専門的知識を実社会や高次の研究に生かせる現代的で広い知見と豊かな人間性、国際性を身に付けることをねらいとする」。さらに、「本学の全学教育は、専門教育や大学院教育への展開を視野に入れて、研究科・研究所等で高度な専門研究にたずさわる者が直接に行う」とあります。本学は全学教育において学生に教養と基礎学力を身に付けることを義務づけ、そのための場を提供することを約束している訳です。

 総合大学である本学には、幅広い専門分野に一流の教授陣が揃っていますので、基礎学力の養成に関しては殆ど問題ありません。しかし、教養教育となると事情は少し違います。教養とは何でしょうか。私たちは普段、「教養がある」、「教養が滲み出る」、「教養が邪魔する」などの言葉を口にしますが、改まって問われると答えに窮します。そもそも教養とは、独立した自由人にふさわしい知識や技術という意味で「リベラルアーツ」に発し、その思想の源流は古代ギリシャにまでさかのぼると言われています。この考えは中世ヨーロッパの大学の伝統的目標であり、日本では旧制高等学校の教育目標でもありました。その目的は、俗世間を超越した高徳の士を養成することにあったそうです。私自身このことはよく理解しておりませんでしたが、本年2月に開催された全学教育公開講演会で大西副総長の講演を拝聴して認識を新たにしました。大西先生はさらに、時代が変わった今、本学の教養教育によって養成するのは、「社会のリーダー(社会で有為の人材)」であって「高徳の士」ではないと言っておられます。

 全学教育を教養教育の面から眺めてみると、専門にとらわれることなく学問全般に触れさせ総合的知識を育むとともに、社会のリーダーとしての義務と責任を自覚させ、倫理観や歴史観を身につける機会を学生に与えることになります。このような観点から、実際の全学教育課程では、学生が文系に属するかあるいは理系に属するかを問わず、選択して必ず履修しなければならない基幹科目類に人間論、表現論および学問論を設けています。人間論群には歴史論、思想論および文化論が用意され、現代社会に生きる豊かな人間性と倫理観を備えた人材の育成をめざしています。表現論群の中には文学論、芸術論および言語表現論があり、自己の考えや発想、さらには知的成果を文章や芸術的手法を通して他者に伝える手法を学びます。

 学問論群は現代学問論、自然論および科学論で構成されています。これらの科目の狙いは「学問の歴史や人と自然の関わり」を学び、専門教育で自らが学ぼうとする学問の位置づけを確認することにあります。学生がそれぞれの学部を選んだ動機を再確認し、専門教育への意欲の喚起を期待しています。この中で特徴的な科目は現代学問論です。本学の様々な専門分野で長い間学問に打ち込んで来られ、定年を控えたベテランの先生に担当していただいております。経験豊富な先生方がどのような動機でそれぞれの学問領域に入り、どのように研究や教育にたずさわって来られたかを情熱をもって語ることが学生の興味を駆り立てるようで、大変好評です。まさに教養教育の目的にかなった科目と言ってよいでしょう。

 自然論と科学論も高い目標を掲げる教養科目です。しかし現実には、その目標に達するためには改善すべき点が多々残されていると思います。私自身、理学研究科が提供する自然論の講義の一部を担当しましたが、教養教育として学生にどのように伝わったのか心配です。自然や科学の専門的な事柄を教えることはできても、「論」としての講義を組み立てるまでは至りませんでした。教える側の教養が試される思いでした。専門の学問領域に精通しているだけでは、学生にとって必ずしも魅力ある授業にはならないと感じたのは私だけでしょうか。大学人としては、日頃から“自然の成り立ち”や“科学の在り方”などを広い視野に立って考えておかなければなりませんが、専門分野の研究に追われる毎日の中では、なかなか「論」を練り上げるまでの余裕がないのも現実です。実際、本学では体系立った自然論や科学論を担当できる教員は限られると思います。せっかく設けたこれらの教養科目ですから、一案として大学教育研究センターに自然論や科学論を研究する専門家を配置して、中味の濃い授業ができる体制を整えてはどうでしょうか。最近重要視されている「ジェンダー論」を担当する教員の確保も課題の一つです。

 大学教育研究センターは全学教育を支援する組織と位置づけられており、全学的視野から全学教育の研究を行い、内容と実施システムの改善に寄与することを使命としています。しかし、前述のような教養科目の抱える課題を解決するためには、同センターの専任教員の数は必ずしも十分とは言えません。昔の教養部には、教養教育に熱意と誇りをもつ「名物教授」といわれる先生が大勢いて、「教養が滲み出る」名講義をされていたように思います。教える側に教養を身につけるゆとりがなければ、稔りある教養教育にはならないのではないでしょうか。国立大学の法人化によって競争が激化し、専門分野における研究業績が問われる機会が増えることは必至ですから、ますます余裕がなくなる恐れがあります。時代の流れを考えるとき、同センターがリベラルアーツに取り組むゆとりと余力を備え、名実ともに教養教育の核になって欲しいものです。「ミニ教養部」をつくることになるとの反論があるかも知れませんが、決して時代逆行ではないと思います。学生の修学や進路指導を充実させるためにも、全学教育を支える同センターの拡充を望みます。

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