◇歴史は雄大なるもの―歴史の研究と教育をめぐって― | ||
経済学研究科教授 坂巻 清 | ||
世界を把握したい、歴史はどのように展開したのか、何によって動いたのか。こうした問題を追求したいというのが、大学に入学した頃の私の願望であった。経済史は、世界歴史の背骨をなすとの思いで、イギリス社会経済史の研究に向かったのだが、その周辺分野をも含めて、大学1、2年次に読んだ100冊たらずの様々な本が、私にとって決定的ともいえる意義をもった。 その痕跡を残してであろうが、私は学問、といっても社会科学研究の根幹は、それに関わる諸現象の抽象化・一般化、そして普遍性の追求にあると考えている。最終目的は現状の把握であるとしても、社会、経済の原理の探求こそ学問としての社会科学の最も重要な本来的な課題であると思う。そうして得られる成果は、長い生命力をもっている。A.スミスの利己心と社会的正義の問題は200年余の時空を超えて今日の課題でもあるし、K.マルクスの資本論も少なくとも100年余の命脈を保った。M.ウェーバーの支配の社会学は今日なお引用に値いするし、F.ブローデルやI.ウォーラステインの歴史把握にも骨太の基本的枠組みがある。もっともウェーバーの場合は最終的には個性的な個体把握を目的として、社会科学のもう一つの側面を示しているのだが、彼の理念型は認識の基準としての一般性を持ちうることはいうまでもない。 しかしこのように言うと、抽象論議が現実の社会にどれだけ役立つのか、社会貢献できるのかという声があがってくるであろう。しかし、私は教養教育では、直接的な社会貢献はあまり気にせず、社会・経済の原理への関心を養い、また歴史などこれまでの豊かな蓄積のある基礎的な学問分野をしっかりと学んだほうがよいと思う。ちなみに、日産自動車をリストラによって再生させ、今その名を馳せているカルロス・ゴーン社長は、歴史が大好きで、少年時代から古代、中世、現代にわたる歴史書を読み、歴史の先生になるのが夢だったとその自叙的著作に書いている。また同氏は今なお歴史の講師になる望みを捨てていないとも聞いている。ゴーン氏の歴史の素養が、日産の再生リストラにどのように役立ったのか、私は知らない。しかし、私の経験からすると、総じて教養に裏付けられていない発想は、短絡的であったり、近視眼的であったりしがちである。社会に対し即効性のある教育ももちろん必要だが、教養教育・基礎研究に裏付けられない限り、はなはだ浅薄なものにならざるを得ない。そして、国立大学が今後さらに、社会貢献しなければならないにせよ、教養教育・基礎研究の分野は、私立大学では容易に推進し難いところがある以上、その充実発展は法人化後も国立大学の使命、とりわけ「研究中心大学」の使命として重視されるべきである。 ところで、私が大学入学当時いだいた、歴史を動かすものは何かという問題は、その後どうなったであろうか。定年を目前にして、この問題を改めて考えると、誠に心もとなく、これまで何をやってきたのかとの思いにもとらわれる。先ほど名前を挙げた社会科学の偉人・達人達の歴史観は、それぞれに面白く共鳴しうるものがあり、これらのいずれかを挙げて済ませるとすれば、ことは比較的容易である。しかし、自分が専攻したイギリス社会経済史に即して、自分で納得した限りでこの問題に答えるならば、どうなるだろうか。 ここで思い当たるのは、長期の歴史において、人々のボランタリーな力こそが国家を動かし、歴史を動かしたということである。これすら、G.アンウィンなる経済史家の轍の跡を踏みつつ、とりわけイギリスについて述べることなのだが、彼はドイツ歴史学派の国家の政策中心の経済史学を転換させ、その対極にある個人の社会・経済活動を重視した。その際、イギリスにおける個人の活動は、国家が個人に千渉することを防ぎ、個人の力を集めて、むしろ国家にプレッシャーを与える中間団体=自発的結合組織(ボランタリー・アソシエイション)を結成する。中世以来現代にいたるまで、こうした自発的結合組織は、たえずイギリスの商工業者、地域住民の間から、発芽し発生してきた。ギルド、相互扶助団体、各種のカンパニー、都市、各種改良団体、労働組合、慈善団体等々のほか、最近のNGO組織も含め、イギリスの歴史は多種多様なボランタリー・アソシエイションに満ちあふれている。個人は結局こうした中間団体を通じて活動してきたのであった。しかし、個人やボランタリー・アソシエイションが、それのみで活動するならば、世の中は無秩序なアナーキー状態に陥らざるを得ない。こうした個人や中間団体の活動に秩序と方向性を与えるのが国家である。 しかし、こうした国家の立場からすると、ボランタリーな団体の中には、当初は国家的な承認を与えることができないような非含法な団体も多い。例えば、クラフト・ギルドは当初は不当な職業統制を行う独占団体として王権によって禁圧されていたし、団結禁止法下の労働組合などもその良い例であろう。しかし、現実の社会・経済が、そのような団体と個人の活動を必要としているのであれば、国家がそれを禁圧しても禁圧しきれるものではない。結局国家はそうした団体の存在を容認し、やがては公認せざるをえない。さらに単なる公認からそれを国家的な制度、機構のうちに取り込みその一部とする、あるいはかつての非公認・非合法なボランタリー団体が、国家の中枢部にまで進出するような事態すら生じたのである。こうした非公認ボランタリー団体の公認→制度化→国家行政・中枢との一体化といった上昇転化現象は、ここでは詳述できないが、中世以来現代に至るまでのイギリスで、波状的に幾重にも発生したのであって、それは国家の在り方を変えてゆく方法でもあった。つまり、ボランタリーな力が国家を引っ張り、歴史を動かしたのである。他面、もちろん国家の政策が局面打開に決定的な重要性をもつこともある。とりわけ後発国ではそうなのだが、国家が主役である場合に比し、個人の自由は、ボランタリー団体の上昇においてこそよりよく実現されると言えよう。 歴史は人間経験の宝庫であり、教養教育に最もふさわしい学問分野の一つである。歴史は暗記物などと言っている者がいるとすれば、その人物の歴史認識のレヴェルが問われる。歴史から何を引き出すかは、これに向かう主体にかかっているからである。私のみるところでは、歴史のなかに普遍的な因果性を、より深くまたより広く自覚できればできるほど、歴史は雄大なるものとして立ち現れる。 |
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