◇生涯教育の一環としての教養教育 | ||
東北大学名誉教授 渡部 治雄 | ||
昭和27(1952)年、東北大学受験を前に文系か理系か大いに悩んだ経験がある。当時、一般入試の前に進学適性検査という一種のメンタルテスト的な試験があり、問題が文系と理系に分れていた。この点数で「足切り」をし、一般入試の受験者を制限する大学もあり、私の母校でも高校三年生を対象に適性検査の本番に備えた3回の校内模擬試験があった。歴史が好きで文系志望だった私は、試験ではいつも理系の方の得点が高く、迷った末に入試直前に後ろ髪を引かれる思いで文学部受験を決めた。 教養部では理系の4科目を受講したが、寮で同室だった文学部の先輩にならい、その予習や復習は全くせずに、語学の勉強と人文的教養書を読むことに集中した。理系の個別科学の授業にもそれなりに真面目に出たが、文学部生なのだから文系の勉強に力を注がねばならないと自分に言い聞かせ、せっかくの授業にもやや義務的な出席に終始したように思う。旧制二高の理科を出て本学で哲学を学ばれたH教授担当の「自然科学概論」の授業だけは、先生自らが講義用のテキスト(『自然科学思想史』古代・中世の部と近世の部の2冊)を作るなど工夫をこらした授業だったが、他の先生方には、授業方法の改善などという発想はなく、「文学部生はここまで憶えればよいでしょう」などとおっしゃる言葉にとまどうこともあった。 残念ながら時間割の都合で物理を受講できなかった。物理を自分で勉強するようになったのは、歴史を勉強するようになり歴史「法則」とか歴史「認識の客観性」などという方法論について考えざるを得なくなってからである。「自然科学概論」の授業もニュートン力学までで終っていたため、二ールス・ボーア以後の量子論やハイゼンベルクの「不確定性の原理」などは、私には文字通り「未踏の」分野であった。市販の書物による我流の勉強だったから、正確に理解できていたのかどうか甚だ心もとない。私が勤務した教養部には幸いに物理の先生方が多数おられたので、よく昼休みに物理の合研でコーヒーを頂きながら耳学問をさせてもらった。 系統的に学ぶには大学に入り直すか、科目履修生となるのが一番だが、それも出来ない私は、当分読書による勉強で満足するほかない。愛読しているのは数多い市販本の中でベテランの先生方の筆になる放送大学用のテキストである。しかし読み易い反面、「わかったと思うことの怖れ」を感じることなく表面的な理解のまま読み進む、ということにもなる。考えさせるには悪文も効用ありと言うべきなのか。大学進学とともに理系の勉強を断念したことの反動として、最近では本学出身の佐々木力氏の『科学革命の歴史構造』などを手掛りに、朝永振一郎氏の『量子力学的世界像』『量子力学と私』や佐藤文隆氏の啓蒙書など手当り次第に本を買い込み、拾い読みしている始末である。 在外研究でゲッチンゲンで暮した折、週未に電車で史跡を見て廻った(運転ができない私はこの時ほど不便を感じたことはない)。ある時、前の座席で週刊誌のクロスワードに熱中していた年配のご婦人から「アンテナを発明した日本の学者の名前を教えて下さい」と声をかけられた。「八木です」と答えると笑顔で丁寧に礼を言われた。仙台市民の何パーセントの人が八木・宇田アンテナのことを知っているのだろうかと反射的に思った。 文系学部の卒業生である私だけでなく、日本の現役の文系学生の自然科学的教養が欧米に比べ格段に劣っているといわれる。それだけでなく、日本の理系学生の人文的教養と比べても、レベルが低いのではなかろうか。原因はもちろん学生側にもあろうが、進歩のスピードが大きい自然科学にも拘らず、大学の教養教育としての理科教育がせいぜい19世紀末あるいは20世紀初期までの研究水準を紹介したものであったこと、旧教養部の先生方も科学史を踏まえた先端的研究をわかり易く教える工夫を怠ってきたことが主たる原因なのではないか。東北大学在職中、「現代科学の発展が旧来の宇宙像や物質観をどう変えたか、大学はこういう問題を考える基礎的素養を教授する工夫を怠っているのではないか」などと、門外漢の気安さもあって教養教育担当の先生方に無遠慮な議論をふきかけたものである。もちろん、しっかりした基礎的素養が所与として備わっていても、私たち文系出身者が確かな自然科学的教養を身につけるためには、それなりの事後学習が不可欠である。およそ事後学習、正確に言えば生涯学習なくしては生きた教養はあり得ない。あるいは不断の自己陶冶への努力なくしては生きた教養は身につかないというべきであろう。 星宮前副総長など関係者の尽力で教養教育が内容・方法・実施体制の面で全面的に改革されたことは新制大学発足以来の画期的な出来事であった。明治以来の学問区分を踏襲した授業科目が脈絡なしに羅列され、授業の内容や方法も教官の全くの裁量に委ねられた旧来のカリキュラムが、生涯学習という視点をも摂り入れた新しい内容へと変貌した姿を前にして、「新しい皮袋には新しい酒を」と思いつづけた往時をふり返り、いささか感慨なきを得ない。 最後に理系学生の教養教育について一言することをお許し願いたい。複眼的な幅広い視野、これが教養の重要な要素だとすれば、理系学生にとって絵や音楽や宗教など、理系の学問とは対極的とも言うべき価値を表現する分野を積極的に学ぶことが大事なはずである。「宗教」については、旧教養部以来、文学部と他大学の先生方の骨を借しまない協力を得て授業科目を設け、また平成5年に全学教育体制が実現したのを機に、優れた研究成果で知られる文学部のインド学仏教史講座の先生方の努力により「インド学入門」を開設することができた。この点で本学は国立七大学(旧七帝大)の中で特に恵まれた環境にある。今度のカリキュラム改革において、『大学教育研究センター年報』(第10号)の中で優れた音楽家として知られる佐藤泰平氏が授業の目的と計画、授業の展開について詳しく報告しておられるように、「音楽」の授業が本格的に摂り入れられたことはまことに喜ばしい。このことは文系と理系も区別はないわけであるが、現代の若者に支持されているジャズやロック、あるいはポップスにいたる現代の音楽が音楽の歴史の中でどのような意味をもつのか、その時代性や風土性を含めて学問的に理解しようとする態度も要請されるであろう。いずれにせよ、理系の各学部に学ぶ学生諸君がこれらの授業によって、各人が生涯にわたって学び続けるための基礎的素養を身につけることができるようにと、切に願う。 以上、編集者の言葉に甘えていささか私事に傾斜した文章になったことをお詫びし、永い間お世話になった東北大学の教養教育のさらなる発展を願いつつ私見を述べさせていただいた次第である。 |
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