◇川内での生活から学んだこと―惜別の辞―
前大学教育研究センター長 渡部 治雄
 多くの方々のご指導ご協力を得て川内北キャンパスでの教育の充実と環境の美化に努力してきたが、このたび任期半ばでセンター長の任を辞することとなった。かえりみると昭和47年に旧教養部に着任して以来、実に多くの学生に出会い、教えることを通して多くの事を学ばせて頂いた。その一端を記し、学生諸君へのお別れの言葉としたい。

 現代人を孤独な群衆と表現したアメリカの高名な社会学者デヴィド・リースマンは次のように言う。「社会が高度に産業化され、物質的豊かさにより生活が多様化細分化されるにしたがい、現代人の多くが他人志向型の人間(man of other-directed type)となり易く、それが大部分の大都市の上層・中産階級の中で多数を形成し、次第に現代人の大半を占めるであろう。」外部の他者の期待や嗜好に敏感な他人志向型の人間は、今や大都市だけでなく、仙台や山形のような中都市や小都市でも確実に増えて来ているようである。

 一方、我々60才台以上の人間が受けた教育の目的は、リースマンの表現を借りれば、内部志向型の人間(man of inner directed type)の育成にあった。大正から昭和ひと桁生れの人間は、「生めよふやせよ」の戦前戦中期から戦後のベビーブームまでの人口増大期に学校教育を受けた。その目標は、社会の流動化が過度に進んだ激動期を生き抜く気概・覇気・頑張り、そのための忍耐・努力にあった。敗戦後に第二の青春を体験した大正生まれの世代と違って、戦後民主主義の時代に青春期に突入した我々昭和ひと桁世代が受けた教育は、伝統的な価値を重視し家族や社会の既成秩序への帰属・同調を説く伝統志向型の人間の否定をめざすものであった。

 こうした内部志向型の人間に属する我々にとり、現代の学生諸君の思想と行動を理解し共に生きるべく努力することは大変難しい。なぜなら他人志向型の人間は、生き方を学び行動を決定する場合、両親や教師などの経験を積んだ「人生の先達」よりも、生活圏を共有するごく親しい仲間か、せいぜいマスメディアを通して間接的に知る同世代人の意見や振舞を基準にする傾向が強く、我々の世代は初めから関わりを期待されず、交わりを拒絶されている存在であるらしいからである。

 しかし私が東北大学で出会った多くの学生から受けた印象は、こうした若者像と遠く隔った場合も少くない。情報に敏感で、他人の期待や願望に対する感受性に富む他人志向型の人間にも、情報の中に快楽を求め、おしゃべりの中に際限のない時間をつぶし、人当たりがよく、他人が不快にならないよう気を配る社交上手な学生もおれば、快楽志向の強い友人達の中にあって、社交的でなく、社交的であろうともせず、自己の内面に関心やエネルギーを集中させ、だじゃれや言葉の遊戯に終るような軽薄な会話には頑として心を閉ざす学生も、そうした閉鎖性が他人に不快感を与えはしないかと悩む学生もいた。

 こうした多様な学生のありのままの姿をそのまま受け入れ、それにより得られる共鳴の関係を軸として交わりを成立させようとすれば、まず教師の我々の側が(内部志向型の教育から)身につけた価値観や、それにより作り上げた「現代の学生像」という既成のイメージから解放されなければならない。しかし、この「自分からの解放」は大変に難しい。むしろ既成の価値観を曳きずりながらそれを率直に学生にぶっつけていく、そうでなければ学生は決して我々に心を開いて呉れないであろう。川内での24年間の生活から私が学んだ成果は色々あるが、その最大の成果の一つがこのような学生諸君との共生の姿勢であった。

 終わりに、このキャンパスで学んだものが、今後永い生涯をかけて作られていく一人ひとりの教養の核となることを願い、諸君への惜別の辞としたい。

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