◇全学教育についての感想
経済学部2年生 大谷 建之

 僕が昨年、大学に入学して最初に行ったことは、英語の雑誌を買ったことであった。もちろん、すらすら読めるとは思ってはいなかったが、辞書を引きながらでは大丈夫だろうという甘い期待に反して、全く読めなかった。単語が分からないだけでなく、省略が多くて文のつながりがつかめない。更に記事の話題が中東状勢などで、背景や固有名詞がわからないという散々の状態であり、いくら辞書を引いても、ちっとも前へは進めない。結局、数ページを読んだか読まないかで放り出してしまった。ところで、最近、部屋の整理をしていると一年前に放り出したその雑誌が出てきた。再び挑戦してみた。またしても全く読めない。同じ様に放り出してしまった。つまり大学生活の一年間で英語力は全く進歩しなかったか、低下したということであろう。ところが不思議なことに、昨年の英語の授業での評定は4つ全て「A」であった。実に、不思議なことである。


経済学部2年生 大坂 紫

 今の授業は生徒約百名。去年の少ない方でも約六十名。中学や高校のクラスの人数も最近は減らされてきているのだから、大学の講義はまだしも英語の授業などはもっと人数を減らして欲しい。人数が多い分、進行は遅いし、授業中に質問しづらい。先生から刺激も受けにくいと思う。また人数が多すぎるとどうしても授業も受け身になってしまう。先生に名前を覚えてもらうこともないし、英語を日常的に使わない環境で、せっかくの使える場なのだから私は少人数クラスにして欲しいと思う。高校の延長線上のテキストはつまらないと思うが、学生にテキストの選択権はないし、中身もあまり選べない状況にあると思う。必修なのだから、もっと学生の興味の沸く授業を聞いて欲しい。表情やジェスチャーなども英語をやりつつ学びたいと思う。


工学部4年生  赤間 鉄宏

 英語学習の努力の量は、それに支払われる報酬によって決まる。

 入試向け英語学習では、報酬の与え方が間違っていた。入試での合格が報酬であるため、英語を使う能力のかわりに、問題を解く能力の向上に過剰な努力がなされた。

 大学に入ってからは、単位取得という報酬によって、より少ない努力で単位を取得できる講義に学生が集まった。

 報酬の与え方を適切にする必要がある。英語コミュニケーションの機会を与えることは適切な報酬になる。自分の過去の努力が適切に評価される上に、英語使用能力の向上のためのさらなる努力を喚起する。

 この効果を利用するために、英語教官は学生を英語文化圏への一人旅にかりたてる必要がある。自分の旅行談や、学生向けの旅行計画の話をすることによって、学生は海外に飛び出すだろう。そして、帰ってきた学生に対する講義でさらなる努力をさせればよい。


工学部3年生 松本 圭次

 私はホテルの深夜のフロント業務のアルバイトをしている。するとやはり、外国人のお客様が訪れる時もある。そんな時、「ヨシ」と思って話をしてみようとするのだが、全く話が通じない。そんな時はアメリカに留学していたという社員の方に場をまかせる。その社員の方は先日お客様から英語で、上手ですねとほめられていた。私は横でそっと見ているだけだった。

 要するに今の私の英語力では、英会話をする事ができない。大学の教育は高校の延長だとしか思えないし、実際に使われている英語を教材として使っている講義もまだまだ少ないと思う。私が今まで習ってきた英語は、フロントで会う外国人は使わないのではないかとまで思う。会話の速度についていけないのも確かだが、それ以上に単語がわからない。

 私の大学の英語教育に対する意見は、もっと「使える」英語を教えて欲しいという事である。

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