◇教養部で過ごしてきて今思うこと
情報科学研究科教授 細谷 昂
 明けて昨年になってしまいましたが、私の定年退官を記念して、52L−3組の諸君がコンパを開いてくれました。なつかしい顔々、それに厚情が心にしみて、涙がでるほどうれしい一夜でした。その時ある一人が、昔クラス・コンパの時先生が「このクラスの仲間たちが10年たってまた集まれるかな」と語ったのが印象に残っていた、といってくれました。むろん、私はそんなことは忘れていました。

 私はわりに「コンパ教師」でした。クラス担任になると、最初の顔合わせの時に、最初だけ天下りでやるからと宣言してクラス・コンパの幹事を任命するのが常でした。仙台出身の学生に割り当てるのです。むろん2回目以降は自主性にまかせましたが、そうすると、2回、3回と、そのクラスでは教養部時代を通じてコンパが続くことが多かったようです。別なクラスですが、あの「大量留年」の結果になった期末試験ボイコットの時、ひるま検問に立っている私をさんざんののしった学生たちが、夜になると三々五々わが家にやってきて、酒を酌み交わしたこともありました。そういうときは、不思議なのですが「両派」とも仲良く(?)やってくるのでした。
 教養部で教員をつとめて、なんといっても最大の喜びは、フレッシュな1年生と出会うことができるという点だったと思います。毎年、1年生の授業の教壇に立つときは、こちらも何か新鮮な気持で授業をおこなうことができました。

 しかし、学生たちの顔の新鮮な輝きを持続することは、率直にいってかなり困難でした。その理由は、複雑だったと思います。その責任の一端は、むろん私たち教員が担わなければならないのでしょう。しかし、たしかに制度の問題もありました。かなりはっきりしていたのは、1年生たちがやがて教養部を「大学」とみなさなくなるということです。つまり、本当の「大学」は、あるいは大学の学問は、教養部を終わった後の「学部」にある、と考えるようになるのです。教養部は、そこにたどりつくまでのたんなる通過駅と意識されるのです。われわれ教員からみると、いつも入り口のお世話ばかりで、出口、つまり卒業に立ち会えないという淋しさがありました。

 そのような意味では、東北大学が教養部を解体して、4年一貫の教育体制をつくったのは当然だったと思います。制度はそのようになりました。しかし、この制度がその趣旨通りに生かされてゆくかどうかは、これからだと思います。いま全学教育科目の見直しが進められていると聞きますが、発足以来5年たったのですからその時期なのでしょう。東北大学の全部局の、とくに学部学生を担当している各学部の先生方が、全学教育科目を大切に育てていってほしいと思います。
 研究面では、私のようにフィールドをやる人間にとっては、教養部はそのための研究組織ができにくいという点で必ずしも有利な場所ではありませんでした。ただ私個人は、文学部社会学研究室との交流のおかげで、そのマイナスはカバーできました。しかしそれだけではなく、教養部にいたことでの学問的なプラスもあったと思っています。それは、1年生に教えるのですから、あまり特殊な専門だけではいけないので、社会学あるいはその関連分野を広く見渡す必要があったこと、しかもそれをやさしく説明するために、自分でもそのくらいまで咀嚼して理解しなければならなかったことです。

 この必要性は、私に、広く見渡し、大筋をつかむ、という訓練をさせてくれたと思います。まさに、専門閉塞を避けるという一般教育の理念の通りに、教師であった私も勉強したわけです。これは、私の専門の特殊テーマの研究を広い文脈に位置づけて見通しをあたえてくれるとか、あるいはいろいろと専門のせまい範囲からはでてきにくいアイデアをあたえてくれるなどの点で、研究面でもたしかにプラスでした。

 しかし現在は、原則として東北大学の全教員が全学教育科目にも従事しているわけで、その教育としての重要性だけでなく、研究面でも生かしようによっては貴重なものになるという点を理解して下さって、繰り返しになりますが、全学教育科目を大切に育てていってほしいと思うのです。

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