◇全学教育偶感 | ||
副総長(総務・企画担当) 小山 貞夫 |
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私が東北大学に入ったのは1955年であるから、もう40年以上前のことである。その頃はまだ教養部もなければ、全学の1・2年生を一か所に集めて教育するという形でのキャンパスの統合もなかった。私が所属した法学部の1・2年生は、教育学部を除く他の文系諸学部、理・農学部と共に、富沢の三神峰にある第一教養部で学んだ。そういう点からは、私の1・2年生の頃は施設の面では勿論、教育システムという点でもまだまだ不完全きわまりないものであった。敗戦から10年しか経っていなかったからである。しかしにもかかわらず、60歳を越えた今振り返ってみて、私にとって最も思い出も多く、また私という人格を作り決定したのも大部分がこの時期であったと信じている。知的好奇心の赴くままに学び(乱読し)、時間を忘れて友人と語らい、サークル活動に熱中し、思い、悩み、楽しんだ。私は今でもこの頃をなつかしく思い出すだけでなく、このような生活を与えてくれた東北大学に感謝を持ち続けている。 それだけに、教師となって最初の職場であった教養部でも、またその後移籍した法学部でも、学生達には1・2年生時代の意義深さを語り続けてきたつもりである。その中で常に言ってきたことは、勉学であれ、サークル活動であれ、思い切って全力を挙げてぶつかりなさい、ただ無目的にノホホンと与えられたことだけを行う生活は止めなさい、目先のバーを跳び越えることだけを目標にせず、自分で定めた遠い先の目標に自分の足で一歩一歩歩む努力をしなさい、ということであった。 今の東北大学の全学教育は、勿論改善の余地がないとは言えないが、私達の頃の教養部教育に比べれば、施設を含めて格段の差をもって優れたものになっていると信じている。しかし制度がどんなに良くても、それを動かす人の主体性が欠けていれば、その制度は死んでしまう。要は、全学教育を与える側の教師の情熱・能力と共に、それを受ける側の主体的な問いかけ、求め方であろう。かつての教養部時代にも繰り返し述べられ、いまだに叫び続けられている教養課程、全学教育の「つまらなさ」「無意義さ」は本当なのであろうか。専門教育はそんなに「面白く」「有意義」なのであろうか。もし後者が正しければ、何故そうなのであろうか。全学教育で得た基礎的知識や学問への姿勢が基礎になって初めて専門教育が面白く有意義になってはいないかということも真剣に反省せねばならないが、それ以上に初めから全学教育はつまらぬ必要悪、単なる通過点としてきめつけてはいないだろうか。講義を受け身で聴くだけで、自ら問いかけることを怠っていないだろうか。聴く方の関心の狭さ、意欲の低さが全学教育を「つまらなく」していないのだろうか。教師は水呑み場までつれて行くことはできても、水を呑みたいという意欲のない人間に水を呑ませることは至難なことなのである。 もう一つ重要なことがある。学問に対して過大な期待をしていないかということである。私自身もそうであったが、青年にとって最重要なことは「いかに生きるか」ということであり、多くの者はその解答を学問・講義に求める傾向がある。真面目な学生ほどその傾向が強い。しかし、学問、さらにはそれを授ける講義にそれを求めることは、「ないものねだり」であることを自覚すべきである。天文学あるいは機械工学を窮めると「人生いかに生くべきか」がわかるのであろうか。むしろ講義で、「学問」の名で、道、生き方を説くこと自体が危険なことなのである。真理(これこそ学問の対象である)と正義は別なのである。そうであれば、講義に「ないものねだり」をしておいて、望むものを与えてくれぬからと言って、相手を非難する誤りはすぐにも気付かれよう。この際、大学・大学教育というものを、その限界を含めて、一度じっくり考えてほしい。その解答を得ることだけでも大学に入った意義があると私は信じているからである。 |
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