◇学生時代の川内の思い出に加えて | ||
大学教育研究センター長 星宮 望 | ||
私は、安保闘争で大荒れの1960年4月に東北大学工学部に入学しました。入学してしばらくは講義がまともに行えない状態が続きました。また、大学院博士課程を修了したのが大学紛争たけなわの1969年3月で、助手に採用されて7ヶ月ほどたったある夜(小生が宿直をしていた夜)に工学部が封鎖されるという経験を致しました。このように、現在と比較すると大学を取り巻く環境が落着かない時代であり、生活も豊かでなかったといえるかもしれませんが、それでも、将来に対しての夢を持っていたように思います。後になって言われてみるとちょうど高度経済成長期への入り口であったようです。 当時の川内北キャンパスは、駐留軍から返還されたばかりの白い板塀の兵舎を利用した教室で東北大学川内分校と呼ばれていました。1年生の成績で希望の学科に行けるかどうかが決まりますので、当時の私は、授業にはほどほど出席しながらも学友会弓道部での修練を中心とした生活を送っていました。その後の1962年に北海道大学で開催された第1回の国立七大学総合体育大会の時には大将(正式にはオチという)として出場して優勝することができたことは大きな感激でした。 このようなサークル優先の川内の学生生活でしたが、文系の科目・理系の科目に限らず、何人かの先生方から教えていただいたことで記憶していることは、「疑問を持つことの大切さ」です。それまでの高校時代には、教科書に書いてあることや先生の話に疑問を持つことはほとんどありませんでしたが、「教科書に書いてあることや先生の話に疑問を持つことが学問の始めである」という趣旨の話を多くの先生方から聞いたことを覚えています。これは極めて大切なことではないでしょうか。その後、学部に進学し、さらに大学院へと進むにしたがって、その意味の重要性がわかってきました。 小生が育った時代は「追いつけ追い越せ」の時代でした。これからは、従来のように欧米を模範として追いかけるという図式が通用しない時代です。追いつけ追い越せから脱却し、右にゆくか左にゆくかを自ら決定しなければならないことが多くなるでしょう。それらを判断するための基準となる「モノサシ」の基礎を作ることがこの川内キャンパスでの諸君の青春時代の重要な課題ではないでしょうか?それには、多くの書物にふれて、かつ、疑問を持ち、自ら考える習慣を身につけることが大切ではないでしょうか? おわりにもう一つの課題として考えていただきたいことは、「世話役の大切さ」です。小生のたくさんの友人の中で、社会に出てからリーダーシップを発揮している人の多くは、周囲の人々(年上であれ年下であれ)に対する「世話役」を苦にしないボランティア精神の豊かな人です。いくら頭が良くて鋭い人だと思われても、自分のことばかりを考えている人には誰も心から従わないからでしょう。この川内キャンパスで、二度とない青春を謳歌しつつ生涯をかける目標・夢を育んで欲しいと思います。それとともに、上述の人生のモノサシの基礎を作り上げてくれるよう心から期待しております。 |
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