◇東北大学のLLの歩み
名誉教授  佐藤 旭
 表題については旧教養部時代のドイツ語の沼田先生、フランス語の故大木先生がそもそもの始まりからよく知っておられるので、先生方の在職中に書き残していただこうと思いつつも果たせなかったことは小生の怠慢でありました。前大学教育研究センター長江幡先生の依頼で小生が執筆するようなはめになりましたが、言語文化部助手の佐々木氏が最適任者であることは言うまでもありません。

 現在の川北のハンドボールコート脇の桜の木のあたりに米軍キャンプの放送局がありました。これを利用してS38年に、松下電器産業からの寄付というかたちでオープンTR40台を収容した1教室と録音スタジオで発足したのがそもそもの始まりであります。最初の職員は大浦氏で、一年半程で長谷川氏に変わりました。

 S45年に講義棟Aの4階に第1、2LL(各60席)が完成し、本格的な歩みが始まりました。この時から語学事務にいた佐々木氏がその後のLL運営の機関車となったのであります。

 当時の第1・2LLは現在のような映像機器などは備わっていない、当時主流の背面管理でありました。この教室の創設にあたっては、大木先生が中心になって機種選定をされたと聞いております。

 小生の本学への赴任はS46年で、即、運営委員会の委員長に選出され、それから長いことLLの運営に佐々木氏らと関わることになりました。S48年、第3LLが故池田事務長のお力添えにより設置されました(56席)。

 第3LLができた数年後からわが国でも映像時代が教育の現場にも波及してきました。

 LL教室もVTRは勿論のこと、LDプレーヤー、そして聴覚障害者のために英語の字幕を画面に出す装置、また近年では、MDプレーヤー……等設備はどんどん進化してきております。

 LL教室を利用する教官も昔に比べれば驚異的に増加しました。「あんなものは不要だ!」と元気よく述べられた先生もおりましたが、皮肉にもそういう先生ほどLLを利用されました。

 ところで、川北キャンパスの講義棟は最近、特に春学期に教室数が不足しております。入学試験、課外活動等で普通教室を減らせない状況が続いており、LL教室の増設は、非常に困難になっております。また、講義棟が計画された当時には考えられない程の電力消費量の増加で、いまだに最上階の第1〜3LLには空調設備がありません。梅雨末期、暗幕を閉めた中で扇風機をフル回転させ、授業を行わざるをえない状態です。これからは学校といえども空調のみならず、インテリジェントビル並の設備が常識的にならねばと考えております。総長、副総長、星官センター長にはその辺の努力を期待したいところであります。

 LL不足を補足するような教室を実現したのが講義棟A205(103名収容)であります。語学の授業で音声教材・映像教材の両者を利用できる教室であり、なおかつ普通の講義室としても利用できる教室としてH8年に増設しました。教材提示装置もありますが、大画面でコンピュータから文字も提示でき、天井にはりめぐらされたスピーカーからは劇場なみの音響が響き渡ります。

 そして、忘れてならないのは、H5年度に設置した第4(30席)、5(60席)、6(30席)LL教室であります。特に、第4LLは32人が利用できる自習教室として筑波大学をモデルにS52年から4年計画で設けられた教室でしたが、東北大学としては最初の外国語修得のためのPC教室に改造されました。しかし、先程述べた通り、教室不足で60人以上用のPC教室は増設できないでおり、旧帝大中最低の設備であります。

 1LL〜6LL、その他の設備及び3700点余りの視聴覚教材を使用し、現在週100コマの授業、述べ3200人余りの学生が語学の授業を受けております。また、4LL教室は週6コマ自習時間として開放し、ビデオ、LD、PC(インターネット、その他)の視聴に供しております。この教室の立地条件が良くなれば、利用者は大幅に増えると思われます。

 紙幅の関係でこれ以上の事は述べられませんが、教室と設備及び管理運営に関する現状のルールが確立したのは、初代センター長の浅尾先生の時の平成6年でありました。

 LLを管理する言語文化部は旧来の枠組みにとらわれず、教官構成も多様化し、それだけ多様な能力集団が集まりつつあり、多様な発展の可能性を秘めていると言えるでしょう。

 益々の御発展をお祈り申し上げます。

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