◇私の授業 ―寸見― | ||
言語文化部教授 伏見 俊則 | ||
川内の研究室に住みついて31年、ようやく停年退官を迎えることになりました。この間に1万人をはるかに越す学生と英語の勉強をしたことになります。昔教えた学生が先生であった僕とつきあえるのが財産の1つだと言ってくれたことがありましたが、僕にとっても学生は励みとなる、また若さを保たせてくれる大事な財産です。やれやれ終わったという気分の裏に寂しい気持ちがあることは否定できません。 昭和42年に着任したときは、50分という半端な授業をたくさん持たされて、毎週13コマ。点在する教室を駆けずり回り、膨大な枚数の採点をして、こりゃかなわんと思ったものですが、これはまだ序の口。まだまだ苦労が重なることになるのですが、その話に今は触れません。ここでは、語学教師らしく2年生以上にはお別れの最終講義に代えて、また、新入生諸君には歓迎の挨拶がわりに問題を1つ出しましょう。これは10年度後期に教室で扱ったアメリカにおける夫婦別姓に関する記述ですが、下線を引いた語に注目して下さい。 Now,although most women take their husband's name,many women keep their own name after their marriage,or sometimes they add their husband's name to their own name,e.g.,Smith-Jones. 「ほとんどの女性は夫の姓を名乗るけれども」の後は「多くの(多数の)女性は」と訳す人が多いことでしょう。そこからが問題。most とは何パーセントくらいを指すか、また many はどうか、ということです。most は‘almost all of…’ですから「ほとんどの」で合格。ところが次の「多くの」は日本語としては、ほとんど学生諸君は70パーセント近く、あるいはそれ以上を指すと受け止めていますから、most と many を足すと百何十パーセントになってしまいます。この「多くの」については市内の2つの大学の2千人以上の学生に教室で尋ねて得られた結果です。 つまり、many は数が「多い」のですが、比率とは関わり合いがなく、述べている人が主観的に「多い」と判断するときに使うと考えるのが正しいと思われます。ですから、訳は「名乗る女性も多い」となるでしょう。「も」がスパイスのようによく働いています。 many の訳に「も」を使うまでには時間がかかりました。some や other は「も」を使って訳していたわけですから、some と others そして many との間には絶対数上の違いはないという認識が閃き、述べる人の主観、判断に思い至ったとき、やっと解決の糸口がつかめたわけです。易しい言葉にも大きな誤解を生む危なさが潜んでいるものです。 語学教師ですからいろいろなものを使って調べますが、簡単に答えが見つかるとは限りません。辞書等の不備(永遠の不備!)もありますが、言葉の感覚の鈍さが正解への道に立ちはだかっているのです。many はたったの1例として取り上げたのですが、これに類することは多く、自分を磨くことの重要さがひしひしと感じられます。ただ、気になることは心のどこかに引っかかっているもので、いつか時を得てヒントらしきものが見つかると、これだと思い当たるだけの余裕と蓄積があれば、いつかは解答にめぐり合えるのではないでしょうか。もうすでに分かったつもりでいて、出会ったものをすぐに捨て去る学生は最も伸びない人たちだという指摘をする人がいますが、この意味で私も同感です。 多分、学生諸君の生活の一刻一刻には疑問が満ち溢れ、それがみな発見と解明のきっかけを持っているはずです。われわれの時間は有限ではありますが、どうかゆとりを忘れずに、解答はいつか、どこからか、広い心の中に浮かび上がってくる仕組みになっていると考えて、有意義な毎日を送ってほしいと願っています。 |
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