◇全学教育科目を終えて | ||
歯学部4年生 岩渕 泰憲 | ||
今から思えば、自分の大学教育研究センターでの二年間は、大学生活に馴染む期間であり、仙台という都市に教わった二年間だった。大学生活とは、今まで自分を育て、手を焼いてくれた母親と立派に思えた父から離れ、下宿での共同生活と、金銭面でのけじめがなくてはならず、初めは正直言うと少し淋しい気がしたものだった。仙台はあまり遊べる所もなく、杜の都と言う様に緑が美しい町であり、最初は東京とのギャップにはなはだ驚いていた。 自分の考えでは、学生生活は、親の庇護からついに離れ、独立し、社会に飛び込むときに神が与えた重要なチャンスである。なぜなら人は生まれる場所を選択できないからだ。例え新鮮な空気と緑、そして動物たちに囲まれた豊かな国土を望んでもそこに生まれるとは限らず、故に学生の僅かな時間は神が唯一我々に与えた本当に自由な時間なのである。 大学教育研究センターでの暇な時間で、燃え尽き症候群にはならず、むしろ自分の雑学的知識を増やし、色々な人とふれ合い、時に国境を越えた空気が出来た。専門へ進んでからは忙しく、そのような機会は次第に少なくなっている。 大学教育研究センターでの暇な時間は、別の意味でも考える時間をくれた。つまり、自分が選んだ仕事が本当に自分の満足できる奉仕か、それとも、それは惰性的に決めただけなのか。だとしたら今自分は何をしたら良いのか。あるいは、自分の仙台での日々は果たして惨めなのか、それとも快楽を求めて人間らしい生活から離れていっているのか。そしてどうすればそんな自分や他人を過ちから救ってあげられるか。 友人と日々過ごす中でそんな事を考えていた。しかし、こうした日々の一見無駄な思索の一つ一つが積み重なって、将来の自分を説得力のあるようにし、人格を高めていくのかも知れない。 全学教育科目の講義で学んだ事は、その時期に読んだ本を含めてためになった。 論理学ではCPUの開発者の話を聞いたり、米国某業大学で教鞭を取っている先生の授業を受けた。心理学や哲学も興味深く聞いた。あるいはまた英語では自らの英語力の崩落を防いだ。尚、物理選択で入学した理系の人にとって、生物の受講は極めて有効だ。何故なら細胞小器官や同化・異化、発生、生態系については専門に入ってからも時々参考になることがあるからである。 本は、例えば、今重大な地球環境問題についてのものや、ネイティブ・アメリカンの信仰の本などがあり、これらの愛読書で自分の視野を広げることができ、とても良かった。 最後に、自分自身、今の自分で満足してはならないと思う。そして、自分の進歩や達成はこれからだと言いたい。父親のように日々新しいことに目を向け、進歩していきたい。そしてそれと同時に自分自身を省みて、新たな成長を計っていきたい。そう望んでいる。併せて、今まで自分を支えてくれた人々に心から感謝をささげたいと思う。 |
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