◇国際化の波と日本 | ||
副総長(学務等担当) 仁田 新一 | ||
近年の通信技術、交通手段の急速な進歩は世界の姿を大きく変えつつある。e-mailは24時間働き続けていて送受信が可能であるし、翌日の急用に前日に外国へ飛び出す時代になっており、或る意味では少し前の国内通信と旅行よりも便利にさえなってきている。また、地震などの天災、大事故などヘの緊急事態に対する人道的な行為などはもとより、世界経済・文化・科学技術への貢献など、グローバルな立場で日本が果たすべき役割を求められる事も出てきていることも事実である。これら国際化の波にこれから日本人としてどのように対処して行くのかまた行くべきなのかを大学人として考えてみたい。 日本は小さな島国であることから、古来他国との接触の機会が少なく、一時は鎖国制を敷き諸外国との交通を一切禁止した時期があった。この間、日本古来の文化が純粋培養され、とてもすばらしい独自の文化が誕生し、今でも少しずつ変化はしているものの世界に誇り得る美しい文化が残っており、他国の羨望の的となっている。 一方、ヨーロッパの国々を訪れると、もう既に国境は無いに等しいし、統一通貨さえも現実のものとなっている。言語も日本人の目から見れば、まず字体が同じであり、単語も少し変化はしているものの共通語がかなり多く、お互いに覚え易くそれ程努力しなくとも数ヵ国語を自由に話せる友人を数多く知っている。現在のヨーロッパもかつては互いに侵略したりされたりすることによって頻繁に人々が交流(?)し、その都度他国の文化、技術を受け入れたが、それぞれの固有の文化の一部は死守し、現在に受けつがれている。それらを彼らはとても大切にしているのが、現地を訪れると痛いほど良くわかる。特にうらやましいのは美しい街並みである。歴史的な建造物は内部はめまぐるしく変わることはあっても、外見は大切に保存し、そのための規制が驚くほど厳しいと聞く。このように彼らは近隣諸国との交流を数多く経験しながらも、独自の文化を底流に持ち、上手に交際する術を体得してきた。 私は国際学会の運営にほぼ10年近く関与しているが、外国人、とくに欧州代表のその巧みな“かけひき”にはいつも翻弄されっ放しである。彼等にすれば当然の事なのであろうが、交渉事のあまり上手でない“島国育ちの悲しさ”である。しかし、少しずつこれらを学習することにより、彼等の実体を理解する側にまわると、とたんに交渉が楽になるから不思議である。日本人の感覚と手法で事を運ぼうとするから軋轢を生じるのであって、その時は外国人の身になってみれば良いのである。即ち価値観を自分の方から相手にできる限り近づけてみる事である。こんな簡単な事を悟るのに何年かかった事であろうか。 国際化という大きな波が日本をまさに翻弄しようとしている時に日本人としてどう対処すべきなのか、またいずれ社会に出て国際競争に直面する学生教育はどうあるべきなのか、諸々の考え方があろうが、外国人を知る・異文化を身をもって知る事がまず基本であろうと考える。それにはできれば外国に長期間滞在し、風土・文化に直接触れることができれば最高である。しかしそれを全員に求めるのは無理であり、現実的には多様な国々からの留学生をもっと増やして、日本の学生と教官との接触の機会を数多く持たせて、それぞれの国の文化・考え方・特徴などへの理解を深め、さらには居住空間を伴にできる施設が必要となる。このように出来る限り外国人との交流をはかることにより、日本が外国から何を期待され、何をなすべきか,また何ができるのかを身を持って感じられれば、外国との競争と協調がどのようになされるべきかが自ずと明確になって、今後の国際化の波に、充分能力を発揮して対処できる頼もしい次世代を誕生させることができるのであろう。東北大学がその発信の源とならん事を大いに期待するものである。 |
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