◇「全学教育へ期待すること」
薬学部3年生  加川 夏子
 受講する科目に対して、その学生がどれ程の関心を抱いているかということは、その講義を面白いと感じられるかどうかの最大のポイントです。

 私が全学教育科目を受講したのは、主に大学1年の頃で、新入生特有の初々しい緊張感と軽やかな興奮を持って、あの分厚いシラバスを手にしたことを覚えています。その頃は第二外国語という言葉を、大学生であることの代名詞の様に感じていたもので、開講時間の関係から、希望通りの中国語を受講できないと知った時には、いつまでも未練がましく大騒ぎしていたように思います。薬学部の学生は、半強制的にドイツ語かフランス語のどちらか一方を選ばせられる傾向があり、私は幸いにも、理解あるドイツ語の教官に恵まれ、ドイツ語への興味を喚起するという終始一貫した教育姿勢を打ち出して下さったおかげで、今ではドイツ語を履習した事に満足しています。しかし初めから、ドイツ語に興味がある者が受講しているという前提で扱われていたとしたら、そのような見方に対する反発心から、これ程ドイツ語に親しみを持つことができたかどうか疑わしいものです。

 全学教育が、専門性に囚われない柔軟な思考力の養成を基本理念に掲げるならば、学生は本来、自分の関心に従った自由な選択をしたいものですが、実際には二者択一、あるいは一つに限定される場合もあります。その様な状況で、初回の授業を曖昧な態度で臨む学生も結構いますが、彼らに対して充分な導入を行わずに、いきなり教官の得意分野を展開されては、学生は単に授業の傍観者となりかねません。こうなると、回を重ねる毎にその科目への好奇心は薄れ、授業に飽きて来るだけでなく、大学の授業とはこんな調子で進むものと、妙に納得させられるのです。これでは新入生の意欲を持続させるどころか、大袈裟に言えば失望させてしまいます。教官はその分野に長年通じた研究者であるのに対して、学生はおそらく、自分の専門以外の領域で系統的な講義を受けることのできる、最初で最後の機会です。教官はもっと専門家として、その学問の醍醐味を学生に伝え、関心をぐっと引きつける場を用意すべきで、それは特に初回の講義と、約15回にわたる授業に散りばめられ、後半に至るにつれて面白いと感じられるのが理想だと私は思います。私自身、大きな関心を寄せて選択した学問のはずが、仕舞には大したものではなかったと残念に思われた講義がありましたが、理由は、講義の間に意表を衝かれる機会が少なかった事と、今後独力でその学問と接触しようとした時、役立つと思われる手段を学び取れなかった事です。

 全学教育の中でも特に教養教育科目では、受講者の意図は様々であり、学生の関心を過信することは、講義をつまらないものにするおそれがあると思います。

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