◇全学教育と自分
農学研究科教授  大久保 一良
 退官を2年後に控え、着手している実験に可能な限り多くの時間を割きたく、できるだけ諸事を回避する昨今である。しかし、全学教育実施計画委員、大学教育センター運営委員として二年間すごし、全学教育実施計画委員会の将来計画小委員会委員長、同外国語委員会委員を務める立場にあって全学教育を身近に感じている一人でもある。しかも、全学教育改革検討委員会が本学の全学教育の新たな方向を検討中の時でもある。この動向をみながら、工学部の10月入試を念頭においた完全セメスター制の実施が本小委員会に諮問されており、外国語委員会と接触しながら、その対応策として初習外国語の一部2,3セメスターの開講案を模索・検討しているところである。全学教育について執筆を依頼されたものの、定義を正確に把握しているとは言えない全くの素人である。研究余命の少なくなった自分を顧み、人格というか、人生の方向を見る目が養われ、進む姿勢が定まったのは何時頃だったかと考えると、どうも全学教育を受けた頃の影響が最も大きいように思われる。そこで視点を変え、たまたま本学出身であることから、42年前に私が経験した全学教育と、現在講義している3年次学生に終えたばかりの全学教育への感想を求め、比較を試みることにした。

 昭和32年に小松島の下宿から東北予備校に一年間通い、本学に42年前の昭和33年に入学した。今でいう全学教育(当時の呼び方は?)で一年留年した後、三、四年に進んだ当時を思い出してみた。昭和33年から秋保電鉄バスで桜のきれいな富沢キャンパスで全学教育の講義を受講した。全学教育が人格形成の期間と考えるのは、学部の壁を越えて広く触れ合いをもてた当時の学友から最も大きく影響を受けたように思えるからで、今日の自分にとって、現在熊本大学医学部教授、岐阜大学農学部教授、本学工学部教授をしている彼等との出会いが重要であったことを示唆している。また、ホップ畑での小野先生(生物学)、八木山峡谷での化石散策に参加した時の清水先生(生物学)、仙台の地層に詳しい奥地先生(地学)、宮城一女から赴任したての熱気溢れる御園生先生(数学)、揺れるバスの中で化学構造式を暗記している化学の先生等、42年後の今でも鮮やかに脳裏に蘇る。学問をしている真摯な先生方を肌で感じ得る距離の重要性が示唆される。教養部の先生方が各学部に分属し、川内に研究室を持つ先生方が非常に少なくなっている。1,2年次の全学生が教官の研究室が少ない川内で全学教育を受けている。全学教育の定義を論じる以前の、教育に関する基本的な間違いをしていないことを願う次第である。

 当時は英語の読解と文法が中心で、現在重要視されている実践的英会話は殆どなかったが、先生方がその領域の学問にも熱中されていたことは察せられた。米国留学での2年間、貧しい語彙で流暢な会話で過ごした訳ではなかったが、専門用語を駆使して講義の任は果たせ、議論にも参加し、英文の原書もそれなりに書くことができた。実践的英会話の重要性は理解できるが、大学における英語教育の座標軸は英語本体の理解にあると思われ、学ぶべきは日常会話の巧みさを身につけることではないと思われる。第二外国語はドイツ語を選択した。その理由は当時、化学と医学には通用する語学であったためである。数年前まで机の本棚にはドイツ語の辞書があったが、今ではどこか片隅に投げ出されている。第二外国語は選択とし、必修である必要性を自分は感じない。むしろ、英語を強化した方が卒業後も必要とされる生きた素養となり合理的と考える。

 当時、高校では化学、生物、地学、物理のいずれも履修しており、全学教育でも講義と実験は理解できたように思われる。その後、農学部では地学は必修でなくなり、現在、物理が問題になっている。現在、必修である物理と実験は、農学部における長い経験からも必修である必要はなくなったように思われる。当時の片平キャンパスには理学部があり、その化学の講義室で、教官が教卓の上で簡単な化学実験を演じてくれた。とても印象的に思い出す。化学、生物、物理および地学実験の文系への開放が考えられているようであるが、教官による教卓実験程度で充分のように思われ、理系とは明確な線引きをすべきではなかろうか。実験こそ専門につながる重要な手法であり、先々の知見を得る王道であり、理系の本命でもある。

 また、講義内容については憶えがない歴史、文化論等の各先生方の面影も脳裏を去来する。先生方の学問への真摯な態度が如何に大切だったかが伺われる。何故か成績が悪く、進級できず、留年してしまい、明善寮から新キャンパスである川内でやり直すことになった。朝、寮を出て、途中の映画館、パチンコ店にひっかかることもあったが、うまい具合に新学科である食糧化学科に進学することができた。留年の痛手を心理相談室で相談した結果、浪人・留年の気持ちをわかっただけでも収穫であると言われたことを覚えている。本学でも登校拒否が問題になってきたが、その本体は人格的成長を拒否しているところにあるように思われる。40年ほど前の小生も浪人・留年の時が最も危険であった。しかし、これを助けてくれたのが、先輩であり、後輩であり、学友であった。自由闊達な人間関係を育てるような環境がキャンパスには必要である。全学教育で学べることはその講義内容、実験内容を介して教官、学友から得られる精神的な絆がとても大切であるように思えてならない。一年遅れたため、同期となった学友には筑波大学教授、信州大学農学部教授、宇都宮大学教授、本学農学部教授がいるが、彼らも同様のことを実感している。

 以上が42年前に受けた全学教育と自分である。現在の学生さん方は全学教育についてどのような感想をもっているか気になったことから、講義を聞いている学生55人に「全学教育と自分」と題して感想文を書いて頂いた。その中から気になる箇所を抜粋し、当時との違いをまとめてみた。但し、農学部の学生で、小生の必須科目である「食品生物工学」を受講している学生さん方である。

 全般:「一般教養のような面白そうなことを色々とれたことはよかった。しかし、自分に関係ない科目には興味がわかなかった。自分の視野を広げるきっかけとなるのが全学教育である。専門と関連ある一般教養を、学部の特色ある全学教育もある。専門につながる全学教育にしてほしい。」

 語学:「英語を強化すべきである。専門で役に立ちそうな生物系や化学系の英文読解を取り入れてほしい。高校の延長ではない実用的英語を習いたかった。高校の延長が圧倒的である。それ以外の外国語を2年間は長すぎる。」

 ドイツ語:「1,2セメで基礎、3,4セメで外国人である先生の実用的な会話中心の授業、とっても楽しかった。やはり興味が湧くような授業だと行くのが楽しみになります。」

 中国語:「他大学での開講数に比べて全く少ない。昔からのドイツ語教育がはびこっていて、中国語の入るスキ間がない。中国語はとてもやる気を持って受けることができた。」

 物理:「必修にする必要はない。そのお陰で留年という結果になった。高校の時に物理学を学んでいなかった人もいるわけで、それでいて大学で難しい物理の授業を受けて、基礎も理解していないのに何の必要があって、物理の授業をしているのか、と何度も思った。物理学実験についても同様、農学部生がやるような内容ではなかった。」

 交友関係:「他学部の人とも顔を合わせることができ、友達もでき、自分の生活の幅が広がった。サークルでの他学部の人達との親交などで、全学教育の期間は、勉強以外では、自分次第で一生の思い出を作ることができる数少ない期間である。」

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