◇教養部の思い出と全学教育 | ||
情報科学研究科教授 國分 振 | ||
全学教育の思い出について書くようにとのことであったが、文字通りの全学教育は「心の科学」という科目を担当していてまだ授業中なので、思い出といわれてもちょっと書きにくい。とりあえず書き出しは全学教育の前身・教養部教育のそれも自分が学生として受けた教養の授業の思い出から始めることをお許しいただきたい。個人的な回顧談だけに終わるつもりはないが、どうもそこから始めないと思い出のページがめくれない。 昭和31年の入学であったが、当時の教養部は桜の名所三神峯にあった。一年先に入った友人は「『桜にだまされるな』ということばがあるんだ」と忠告してくれた。そして「まともな奴は授業になんか出ないで、図書館にこもるんだ」と先輩面でうそぶくのだった。たしかにすべての講義が面白いわけではなかった。「万葉集は当時『マニェプシ』と発音されていた」という説明を「それがどうした」という感じで聴いていたことをいま急に思い出したが、扇畑先生の名講義を十分受けとめる能力がこちらにはなかったのだ。40数年前の記憶の断片が次つぎと浮かび上がってくる。「ドーンススコトウスはぁ・・」と大声を張り上げているのは哲学の古田先生だ。人生如何に生きるべきか哲学こそ手がかりを与えてくれるのではないかと期待した講義なのに、世界は火と水と土からできていると考えたとか誰かが風をそれにつけ加えたとか、そんなことはやっぱり「それがどうした」なのだった。何故そのように考えざるを得なかったのかこそが問題なんじゃないかとも思った。ワイゼンの法学も人気があって「旧制二高生は赤点を取ると『英雄色を好む』と胸を張った」、そこでワーッと受けるのだが、学生のほうは去年のノートを持っていて、そろそろ出るぞという予測が当たったので喜ぶのだという話もあった。袋路通行権とか隣家の柿の枝が伸びてきて実を付けたら取っていいかとか身近な話題を漫談でつないで、試験は「人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期・・」という刑法第199条を暗記すれば単位をくれるということだった。が私は人が人を死刑にできる根拠は何かなどと考えていて、条文には興味がなかった。目からウロコの思いで聞いたのは矢木先生の経済学と安倍先生の心理学だった。世界観・人生観への手がかりが得られそうに思えた。安倍先生の心理学は、ほとんど犯罪心理の話題で、先生が面接した宮城刑務所の大物たちが友達のような親しさで登場する。羽織のシンというすりの親分はすれちがいざまに羽織を脱がせとるが、すられた本人は気がつかない。そのようなケースを、生きているとはどういうことかというような文脈に織り込んでの壮大な講義であった。それは先生の社会心理学の体系がまとまり世に問われた時期だった。「社会心理学」はその年出版されたが、お話しはよく分かり滅法面白かったのに、ご著書のほうは難解で何度試みても途中で挫折し読み通したことがない。 さて、学生時代の回顧はこれくらいにして、教師としての思い出をたどることにする。大学院を出て助手になった年、教養部の教授が急逝されたので、ピンチヒッターとして例外的に助手ながら心理学の講義を担当した。そのあと新潟大学に9年間勤め、昭和51年に教養部に戻った。心理学実験と講読、それと心理学IおよびUを担当することになった。新潟大学で大学紛争を経験してきたが、こちらではその嵐がまだ吹き荒れており処分解除闘争が酣であった。やがて紛争もおさまり学生との関係も正常化したが、辛い思い出もある。ひとつはクラスの学生の交通事故死で、秋田から夜中駆けつけたご両親の嘆きと悲しみには慰める術もなかった。川北の自習室の時計と棚は父上が万感の思いを込めて寄贈されたものである。もうひとつは授業の縁で関わった、友人もなく孤独のうちに挫折した学生のことで、マイクを使っての授業を聞いてアパートに戻り結局一日中誰とも口をきかなかったというような生活を続けているうちに、精神の変調をきたしてしまった。訪れた部屋にはインスタント食品の包装が散らばり、流し台は凍てついていた。この荒涼と孤独では落ち込むほかなかったろうと痛ましい思いを強くした。サークルや少人数クラスは精神保健の面からも必要である。居場所が必要なのだ。クラス担任も何回かしたが、クラスにも個性がありまた教師との相性もあるようだ。理学部のあるクラスのときは、よくコンパもしたし、一緒に蔵王登山をし山小屋では水汲みもさせられたが、楽しいクラスだった。 さて、肝腎の講義のほうだが、「心理学I、U」は、全学教育科目では、「心の科学A、B」となった。改革のとき心理学は既にセメスター的にやっていたし、内容的にももともと総合科目的なので大きく変える必要はないという判断だったが、科目名は変えた。精一杯やってはきたが、自分がインパクトを受けた安倍先生の講義を思い浮かべるとき忸怩たる思いを禁じ得ない。自分では役者が違うといいたいが、学生にしてみればそんな弁解は聞きたくないだろう。心理学の各領域についてバランスを考え話題を選ぶとか、毎回資料を配布するとか、OHPやビデオを使うなど受講生の立場に立って講義しているつもりだが、はたして効果はどうだろうか。先般報告書が出た学生による授業評価ではこちらの意図はしっかり受け止められているようだった。 GENERAL EDUCATIONは将軍教育と翻訳すべきだという人もいるが、教養教育には、その学問領域の情報を伝えるだけではなく、学問的真実、人格的価値への憧れを育てる機能もあると思う。 |
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